埼玉新聞

 

石川一雄さんが86歳で死去 誤嚥性肺炎で 狭山事件で再審請求中 集会では「何としても生き抜き冤罪を晴らす」とメッセージ 袴田巌さんと親交も

  • 袴田ひで子さん(右)ら他の冤罪被害関係者と共に集会に参加した石川一雄さん(中央)=昨年11月1日、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂

    袴田ひで子さん(右)ら他の冤罪被害関係者と共に集会に参加した石川一雄さん(中央)=昨年11月1日、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂

  • 袴田ひで子さん(右)ら他の冤罪被害関係者と共に集会に参加した石川一雄さん(中央)=昨年11月1日、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂

 狭山市で1963年に女子高校生が殺害された狭山事件で、無期懲役が確定し服役後に仮釈放され、裁判をやり直す再審を求めていた石川一雄(いしかわ・かずお)さんが11日午後10時31分、狭山市内の病院で誤嚥(ごえん)性肺炎により死去した。86歳。11日は、64年に一審浦和地裁(現さいたま地裁)で石川さんに死刑判決が下されてから61年を迎えた日だった。

 石川さんは39年1月、現在の狭山市生まれ。69年6月、事件の容疑者として逮捕され、一審では起訴事実を認め死刑判決を受けたが、二審からは一転し無実を主張。しかし退けられ、77年に最高裁で無期懲役が確定し、94年に仮釈放されていた。

 弁護団はこれまでに2度にわたって再審を訴え、いずれも棄却された。2006年から申し立てた第三次再審請求では、これまで64回の裁判所、検察側、弁護団による三者協議が行われ、弁護団は事件証拠に対する鑑定人の証人尋問の実施などを求めてきた。関係者によると、今後の再審請求は未定としているが、妻の早智子さんは継承する意向を示しているという。

 石川さんは近年、筋肉の衰えや視力、聴力の低下を明かしており、支援者からも心配の声が上がっていた。昨年11月に東京都内で行われた集会に姿を見せた際は「気持ちは元気」「冤罪(えんざい)が晴れるまで私は自分の信念を曲げない」などと話していた。

 昨年末に体調を崩し緊急入院。一度は快方に向かったものの、7日から再び入院していた。8日行われた支援団体主催の集会にも参加せず、「何としても生き抜き冤罪を晴らす」とメッセージを発表していた。

 66年の静岡県一家4人殺害事件で再審無罪が確定した袴田巌さん(89)と東京拘置所で共に過ごした時期があり、親交があった。

【狭山事件】 1963年5月1日、狭山市の女子高校生=当時(16)=が誘拐され、家族に身代金を要求する脅迫状が届いた。県警は受け渡し場所で犯人を取り逃がし、女子高校生は遺体で見つかった。県警は近くに住んでいた当時24歳の石川一雄さんを逮捕。77年に最高裁で無期懲役が確定し94年に仮釈放された。これまでに2度再審請求を退けられ、2006年から第三次再審請求が継続している。

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