2021年2月14日(日)

秩父鉄道と渋沢栄一の関わり、SL走行中に車内放送で特別講義 渋沢の援助、なかったら秩父の発展は

SLパレオエクスプレスの車掌室の放送設備を使って渋沢栄一の特別講義を行った恩田睦さん=13日、午前11時半ごろ

 渋沢栄一の生誕181年を迎えた13日、秩父鉄道(本社・埼玉県熊谷市)は同日から今年の運行を開始したSLパレオエクスプレスで、車内放送の設備を使って「渋沢栄一と秩父鉄道」をテーマに特別講義を行った。明治大学商学部専任准教授の恩田睦さん(40)が、秩父鉄道の秩父延伸に渋沢が貢献したことを紹介。「渋沢は国益を考えながら地方の振興についても忘れていなかった」と話した。

 特別講義は熊谷―秩父間のSL走行中に、最後尾の車掌室で恩田さんがマイクを握って話した。駅が近づくと車掌にバトンタッチして通常の運行案内に。恩田さんは11章に分けて、渋沢の生い立ちや商業思想、秩父鉄道との関わりについて解説した。

 秩父鉄道の前身の上武鉄道は、日清戦争前後の好景気を受けて、秩父の絹織物業者が設立。熊谷―秩父間の沿線の有力者から資金を募って鉄道建設を始めた。しかし、不況となったことから途中で資金が底を突き、路線は熊谷から寄居町の波久礼まででストップ。経営危機に陥った。

 社長を引き継いだ柿原定吉は、渋沢が代表を務める埼玉学友会の一員で、会の仲間の諸井恒平(のちの秩父セメント社長)らに相談した。渋沢も林学博士の本多静六から武甲山の石灰岩の有用性について聞いていたことから、諸井らに現地調査をさせた。セメント工業の可能性を評価する結果が出たことから、渋沢は第一銀行を通じて資金援助を行ったという。

 「この資金援助がなかったら、波久礼から先へ延伸されなかった可能性が高い。そうなれば秩父にセメント産業は起こらず、工業都市としての発展はなかった。また、長瀞などの観光地もなかったかもしれない」と恩田さん。「東京だけでなく、地方も一緒に豊かになっていくことが日本の発展につながると渋沢は考えていた」

 SLに乗車していた会社役員の女性(50)は「渋沢栄一は、今でいうグローカルな取り組みを明治時代からやっていた。1万円札の顔になるのも納得できる」と話していた。

 秩父鉄道では14日、渋沢栄一とふっかちゃんを描いたヘッドマークの「渋沢栄一号」を運行。立正大学地球環境科学部専任講師の山田淳一さんの車内特別講義も行う。

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