埼玉新聞

 

さいたま新都心~与野駅、魅力スポット紹介 洋菓子店パティスリーレタンの人気「かやの木ロール」もいかが

  • 与野駅東口前のパティスリーレタン東口駅前店。大きな年輪をイメージした「かやの木ロール」の特大看板が目立つ

    与野駅東口前のパティスリーレタン東口駅前店。大きな年輪をイメージした「かやの木ロール」の特大看板が目立つ

  • さいたま新都心~与野駅の魅力スポット地図

    さいたま新都心~与野駅の魅力スポット地図

  • 道端にひっそりと立つ「一本杉」の石碑。仇討ち当時の一本杉は高さ約18メートル太さ約3メートルだったという=さいたま市浦和区

    道端にひっそりと立つ「一本杉」の石碑。仇討ち当時の一本杉は高さ約18メートル太さ約3メートルだったという=さいたま市浦和区

  • 色白のお女郎地蔵とやや赤みがかった火の玉不動には言い伝えが少なくない=さいたま市中央区

    色白のお女郎地蔵とやや赤みがかった火の玉不動には言い伝えが少なくない=さいたま市中央区

  • 与野駅東口前のパティスリーレタン東口駅前店。大きな年輪をイメージした「かやの木ロール」の特大看板が目立つ
  • さいたま新都心~与野駅の魅力スポット地図
  • 道端にひっそりと立つ「一本杉」の石碑。仇討ち当時の一本杉は高さ約18メートル太さ約3メートルだったという=さいたま市浦和区
  • 色白のお女郎地蔵とやや赤みがかった火の玉不動には言い伝えが少なくない=さいたま市中央区

 さいたまスーパーアリーナがあり、世界規模のイベントやコンサートなどで国内外から人が集まるさいたま新都心駅。商業施設が立ち並ぶ東口駅前は中山道が走り、自転車の国際レース「さいたまクリテリウム」のコースになる東西大通りが横切る。そんな近代的な街と共存する史跡の数々。歴史に思いをはせながら、いにしえの名残をたどる。

 駅前の信号で中山道を渡り駅ホーム方面に顔を向けると、フェンスに囲われた「高台橋の遺構」がある。明治時代に造られたれんがのアーチ橋で「都市部駅前の希少な構造物として大変貴重」と「日本の土木近代遺産」に選定されている(2001年土木学会)。前の歩道には赤い屋根の祠(ほこら)が見える。この場所には「お女郎地蔵」と「火の玉不動」が並ぶ。地蔵はその昔、大宮宿だったこの界隈にいた女郎「千鳥」を祀(まつ)ったものだ。悲恋に身投げした千鳥を哀れみ、近所の人らが建てたという。不動については当時、付近で火の玉が飛んでいたなど諸説あるが、刑場だった場所の無縁仏への供養塔とも伝えられている。

 与野駅近くまでケヤキ並木を歩き、途中、遠く左には造幣局も。新都心大橋の出口を過ぎ、左手の小道を住宅街に入ると、ほどなく小さな石段のある「念仏塚」が現れる。飢饉(ききん)や天災に苦しむ地元住民の救済を願って念仏往生した僧侶「比丘(びく)」の塚だ。

 中山道に戻り、先に見える交差点には以前、推定樹齢500年以上の「大けやき」があった。駅前のシンボルだったが倒木の恐れで2010年に伐採。そのオブジェが与野駅構内に飾られている。

 交差点から北浦和方向に向かい、「赤山通り」と合流する地点はかつて秩父を含め関東の山々を見渡せる「六国見(ろっこくみ)」と呼ばれる名所だった。さらに先の大原陸橋麓の歩道には「一本杉」と刻まれた石碑がある。文久4(1864)年に起きた事件で、幕末最後の仇(あだ)討ちとして世に語り継がれた「針ヶ谷の一本杉」跡を記している。讃岐丸亀藩の浪人に水戸藩士が切られ、「桜田門外の変」で仇(かたき)の所在を知った子息が4年越しにこの地で父の無念を晴らしたという。

 110年の歴史を誇る与野駅。東口は開業46年後の1958年にできた。駅前の洋菓子店パティスリーレタンで、人気の「かやの木ロール」はお土産にいい。近くの妙行寺に立つ推定樹齢千年の大カヤがモチーフとなっている。
 

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