埼玉新聞

 

<熊谷小4ひき逃げ>言葉にならない…母 遺品紛失、容疑で定年退職の元警部補を書類送検 供述も二転三転

  • 亡くなった息子の遺影を見つめる母親。サッカーが好きな少年だった=2018年9月、熊谷市の自宅

 熊谷市で2009年9月に小学4年の小関孝徳君=当時(10)=が死亡した未解決のひき逃げ事件に絡み、証拠品として保管していた遺品の腕時計を紛失したことを隠すため、虚偽の公文書を作成するなどしたとして、県警は27日、虚偽有印公文書作成・同行使と公文書毀棄の疑いで、事件を担当していた交通捜査課の男性元警部補(61)=定年退職=をさいたま地検に書類送検した。県警交通指導課への取材で分かった。

 また、県警が事件当時、小関君の腕時計や着衣を押収しながら熊谷署の証拠品保管庫に保管せず、捜査班が設置された室内の段ボール箱に入れて何度も移動させ、15年に紛失が発覚するまで一度も確認していなかったことも明らかになった。腕時計は10歳の誕生日プレゼントに母親が贈ったもので、今も見つかっていない。県警は証拠品紛失や元警部補の行為に対する責任があるとして、当時の上司らを内部処分した。

 元警部補の書類送検容疑は、15年9月ごろ、証拠品の腕時計の紛失を知りながら、虚偽の証拠品に関する捜査書類を作成して差し替え、もともとの書類を破棄した疑い。

 元警部補は当初、虚偽の文書を作成、破棄したことを認め、「腕時計を遺族に返却したように装うため」などと話していたが、その後は供述が二転三転しており、県警は今後の捜査や公判に支障があるとして認否を明らかにしていない。

 同課によると、元警部補は証拠品の任意提出書と領置調書、押収品目録交付書の3点を破棄し、虚偽の同調書と同交付書、捜査報告書の3点を作成した。

 元警部補は同月ごろ、着衣などを鑑定するため、押収品を一度遺族に返却する体裁を取って証拠品として登録。その後に腕時計がないことに気付き、つじつまを合わせるために腕時計の記載のある書類を破棄して、ないものに差し替えた。

 事件当時、県警は腕時計や着衣などの押収品が鑑定できるか科捜研に確認したところ、技術的に不可能と判断され、遺族から預かったまま証拠品として正規に登録していなかった。証拠品は本来署内の保管庫で保管するが、捜査班が設置された室内の段ボール箱に入れて放置。捜査班の部屋は15年ごろまでに何度か移動しており、そのたびに段ボール箱も移動させたという。元警部補が腕時計の紛失に気付いた15年9月ごろまで約6年間、証拠品について一度も確認していなかった。

 県警は腕時計の紛失や元警部補の文書破棄などに対する責任があるとして、いずれも09年時に熊谷署交通課長代理、同課係長、県警交通捜査課課長補佐、15年時に同署交通課長代理、県警交通捜査課課長補佐だった50~60代の男性警察官計5人(定年退職を含む)を訓戒や注意処分とした。

 古賀康弘交通部長は証拠品の扱いについて、「当時の捜査状況を踏まえると支障はなかったと考えている。ご遺族には大変ご迷惑をお掛けして申し訳ない。今後再発防止を徹底する」とコメントした。

 事件は未解決のまま、道交法違反(ひき逃げ)罪の公訴時効が16年に成立。自動車運転過失致死罪(当時)の時効が今月末に迫っていたが、県警は18日、適用罪名を危険運転致死罪に切り替え、捜査を継続する方針を示した。

■「言葉にならない」母親がコメント

 元警部補の書類送検を受け、母親は以下のコメントを出した。

 去年10月に証拠品でもある腕時計の紛失が発覚し、約1年間、捜査中ということで報告されていました。

 27日午前中に県警の方からご連絡をいただき熊谷警察署に向かいました。県警から元警部補の虚偽有印公文書作成・同行使と公用文書毀棄の疑いで書類送検しました。さらに関係者を処分したという説明を受けました。

 孝徳の事件の捜査に関して、私たち親子にとって大切な腕時計を紛失したこと、それを隠すために目録文書を作成していたことはとても残念です。

 管理体制にも問題があったことを認めました。本来、管理保管庫という場所に証拠品を保管しなければなりません。定期的に証拠品を確認する場所に保管せず、警察署内に置かれていただけでした。

 そのため、確認作業は10年間一度も行われていなかったことが分かりました。

 このような状態で初動捜査をはじめ、管理体制はずさんであったことも発覚いたしました。

 言葉になりませんでした。

 県警には今回のことを厳粛に受け止めてもらい、事件解決に向けて捜査してもらいたいと思います。

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