埼玉新聞

 

ラグビー元日本代表の女子選手がチームスタッフに 狭山セコムラガッツのライチェル海遥さん 「地域の人にチームの魅力を伝えたい」 競技経験や語学力を生かしてチームに貢献 キャリアモデルとして注目も

  • 練習中、コーチの指示を外国人選手に通訳するライチェルさん=8日午後、狭山市内の練習場

    練習中、コーチの指示を外国人選手に通訳するライチェルさん=8日午後、狭山市内の練習場

  • 東京五輪でプレーするライチェルさん(中央)(狭山セコムラガッツ提供)

    東京五輪でプレーするライチェルさん(中央)(狭山セコムラガッツ提供)

  • 【地図】狭山市(背景薄緑)

    狭山市の位置

  • 練習中、コーチの指示を外国人選手に通訳するライチェルさん=8日午後、狭山市内の練習場
  • 東京五輪でプレーするライチェルさん(中央)(狭山セコムラガッツ提供)
  • 【地図】狭山市(背景薄緑)

 芝のフィールドで、大柄なラガーマンに混じって練習にげきを飛ばす女性スタッフがいる。7人制女子ラグビー元日本代表のバティヴァカロロ・ライチェル海遥(みよ)さん(28)。現役引退後、今年1月にラグビーリーグワン3部の狭山セコムラガッツ(狭山市)にチームスタッフとして加入した。「地域の人にチームの魅力を伝えたい」と、競技経験や語学力を生かしてチームに貢献している。

 ライチェルさんは4歳から戸田市のラグビースクールに通い始めた。敏しょう性やテクニックを武器に活躍し、2016年に立正大(熊谷市)のラグビー部と、女子ラグビーチーム「アルカス熊谷」に所属。21年の東京五輪では日本代表の主将を務めた。22年からは山口県のチームへ移籍し、25年12月に現役を引退。1月からラガッツに加わり、「地域の人に応援したいと思ってもらえるチームづくりをして、皆さんに魅力を伝えていきたい」と意気込む。

 「ターニングポイントでコーチや指導者に導かれた」と競技人生を振り返る。通ったラグビースクールには女子チームがなく、競技をやめることを考えたこともある。7人制ラグビーが五輪の正式競技になった16年のリオデジャネイロ大会では、大会の3カ月前にけがのため代表を離脱し出場はかなわなかった。壁にぶつかるたびに、コーチや医師の言葉に背中を押され、競技を続けてきたという。「これからの子どもたちにも私と同じように『きっかけ』を与えたい」

 チームではパス出しなどの練習の補助、外国人選手の通訳や生活の支援、キッズアカデミーの指導に携わる。元日本代表の女子選手がリーグワンのチームスタッフに加わることは珍しく、キャリアモデルとしても注目される。チームの関係者は、「チームにも早く溶け込んで、貢献してくれている」と語り、選手からは「パスが早くていい」とも評価されているという。

 ラグビーを始めるきっかけになった父の母国、フィジー共和国にも強い思いがある。24年には同じく競技者の妹とフィジーを訪れ、ラグビー教室を開いた。ラグビーが国技ともいわれる国でも、十分な道具や医療支援が受けられるのはトップチームのわずかな選手のみ。「進学と同時にラグビーから離れる子や、やる場所がなくてできないという子が一人でも減ってほしい。日本とフィジーの懸け橋になれれば」と夢を語った。

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