埼玉の町名の由来になった「伊奈忠次」…江戸や関東の水防や新田開発に大きな貢献 「ゆかりの地交流協定」に川口市、伊奈町、茨城・つくばみらい市に続き、愛知・西尾市が参加
江戸時代に江戸や関東の水防や新田開発に大きな貢献をした伊奈忠次やその息子忠治らを顕彰する「ゆかりの地交流協定」に、川口市、伊奈町、茨城県のつくばみらい市に続き、新たに愛知県西尾市が参加した。2025年12月25日、協定の締結式が伊奈町役場で4首長によるオンライン会議が開催された。
ゆかりの地交流協定は2021年に発足。これまで2年に1度のシンポ開催などを3市町が担ってきた。26年の当番は川口市。
伊奈町などの資料によると、伊奈忠次(1550―1610年)は三河国(愛知県)の有力武士団の一族で、一時は徳川家康と敵対したが、本能寺の変で家康が三河に逃げ帰るときに忠次が護衛し家康の信頼を得た。
忠次は家康が関東に来た際に同行し、関東代官頭として重要な役目に就いた。武州小室(現・伊奈町小室)と鴻巣を領地とし、伊奈町小室に陣屋を築いた。小室の伊奈家は明治維新まで続き、忠次の名が町の名前として残った。
一方、忠次亡き後は次男の忠治(1592―1653年)が川口市赤山に陣屋を置き、父や兄の手がけた利根川東遷など関東の治水、新田開発、河川改修などの事業を引き継いた。
特に小貝川と鬼怒川の分流工事が新田開発でも成功し、忠治を顕彰する伊奈神社がつくばみらい市に今もある。合併して同市になる前の伊奈町の名前も忠治にちなむ。また子孫が神奈川方面でも功績を残し、川口市民グループの研究も進んでいる。
調印式はこの日午後4時から開かれた。同町役場2階の会議室の大画面に4市長の首長がそろった。
伊奈町の大島清町長は、「(25年)6月に忠次が生まれた西尾市で1610年になくなってから415回忌があり、参加したところ、中村市長が、ゆかりの協定にぜひ参加したいというお話があった」と経緯を説明。「忠次が伊奈町小室に来るまでの40年間がどのような感じだったのか、知りたい。わが町の忠次友の会ともども勉強を深めたい」と話した。
川口市の奥ノ木信夫市長は「忠治公は川口の赤山陣屋を拠点に大事業を展開した。市民の文化向上に役立つ顕彰事業を目指したい」。つくばみらい市の小田川浩市長は「忠治公は小貝川と鬼怒川の河川改修で沼地のような荒れ地を人が暮らしていける土地にした。忠治公が築いた潅漑(かんがい)システムは今も生きている」とした。
西尾市の中村健市長は「私は忠次公らが東京繁栄の礎を築いたと思っている。西尾でも忠次公らの顕彰をもっと、という機運が盛り上がっている。関東の皆さんと同じ熱量で頑張りたい。どうぞよろしく」と話した。










