「武蔵野線、横須賀線あたりがボーダーライン」…JTB時刻表の元編集長木村さんが講演 時代に刻まれた裏話などを披露 重さ1キロ以下にするために「増やすならどこかを減らさねば」
創刊から100年を迎えたJTB時刻表の元編集長、木村嘉男さんが7日、吉川市民交流センター「おあしす」(同市きよみ野)で講演し、時代に刻まれた裏話などを披露した。
同社の時刻表は1925年4月の創刊当初から人気が高く、国鉄最後のダイヤ改正号(86年11月)は、史上最高の203万部を発行した。講演では、時刻表の略歴や制作、これからの鉄道の話題についても触れ、約30人の参加者らは熱心に耳を傾けた。
「創刊号の時は、山手線がまだ丸くなかった」―。話は線路の形から始まった。時刻の表記はそれまで、漢数字の縦書きで示されていたが、算用数字の横書きに。記号の使用、地図からの検索も創刊号からと説明した。
87年4月から国鉄監修の時刻表が販売され、時刻表が2誌になり、売り上げが落ちてピンチに陥ったが、翌88年3月号は、青函トンネル開通が表紙を飾った。トンネル入り口上部の「青函隧道」という文字は当時の首相、中曽根康弘さんが書いたなど、木村さんはさまざまなエピソードで参加者を楽しませた。
質問コーナーでは、参加者から「武蔵野線の時刻をもっと細かく載せてほしい」という要望が出された。これに対して、時刻表は、第三種郵便(1キロ以下)を基本に32ページ単位で制作するため「1ページだけは増やせない。増やすならどこかを減らさねばならず、武蔵野線、横須賀線あたりがボーダーラインなんですよ」と編集側の事情を明かした。
このほか、映画化された松本清張の小説「点と線」にも触れ「当時の時刻表からすると、特急の発車番線につじつまが合わないものがある」などと解説。会場から、驚きの声が上がった。
市内在住の木村勉さん(67)は「若いころ、各地を旅行してSLの写真を撮った。今でも廃線を歩く時もあり、今日は楽しかった」。朝霞市から来た黒川滋さん(55)は「早く着いても、ホームが遠くて乗り換えられない大阪駅の話など、知らない話が聞けて良かった」。じゃんけん大会で勝って、新しい時刻表をもらった石原佳央里さん(43)は「時刻表は一冊に全国のいろいろなことが詰まっているのが魅力」と、うれしそうに話していた。










