埼玉新聞

 

米、降伏直前の特攻懸念か マニラ会談の資料見つかる

  •  マニラ会談へ向かう使節団(手前中央が河辺虎四郎中将、その手前右が大竹貞雄少尉)=1945年8月19日、沖縄・伊江島(米海軍歴史・遺産コマンドのアーカイブより)

     マニラ会談へ向かう使節団(手前中央が河辺虎四郎中将、その手前右が大竹貞雄少尉)=1945年8月19日、沖縄・伊江島(米海軍歴史・遺産コマンドのアーカイブより)

  •  マニラ会談へ向かう使節団(手前中央が河辺虎四郎中将、その手前右が大竹貞雄少尉)=1945年8月19日、沖縄・伊江島(米海軍歴史・遺産コマンドのアーカイブより)

 戦前の同盟通信記者で陸軍参謀本部に召集された大竹貞雄少尉が、日本占領の打ち合わせをした日米のマニラ会談へ通訳として同行する際、大本営から使節団に配布された日本軍の残存兵力に関する資料が12日までに見つかった。筑波大の波多野澄雄名誉教授(日本外交史)は「一群の資料に特攻兵力だけ抜粋した文書があった。米側がポツダム宣言受諾後も特攻に懸念を持っていた様子がうかがえる」と指摘した。

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