戦争伝える陽光桜 埼玉・本庄 平和発信へ小冊子
戦後80年の今年、本庄市内の本庄総合公園などで咲く陽光桜が、戦死した教え子たちのために生まれた桜であることが分かった。ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士(1907~81年)の妻スミさん(本名=澄子、1910~2006年)が贈った桜で、元県議の竹並万吉さん(86)と、調査した吉田豊さん(82)が発刊した小冊子「本庄で咲き誇る 世界平和の陽光桜の発見とソメイヨシノ桜の課題」で紹介。竹並さんらは「本庄から世界平和を発信したい」と力を込める。
■きっかけは食害調査
2023年8月、自宅近くの元小山川の堤を散歩していた吉田さんは、クビアカツヤカミキリ(以下クビアカ)によるソメイヨシノの異変に気付き、独自に実態調査をしていた。クビアカは、特定外来生物で桜の古木の内部を食い散らかし、枯らしてしまう。市内20カ所のソメイヨシノ464本のうち231本が被害を受けていた。食害の大きさに驚いた吉田さんは、市長や教育長など5人に現状を知らせる手紙を送った。
今年1月、竹並さんから連絡があり、新しい桜の植樹活動がスタートした。本庄ライオンズクラブの山田幸一会長(68)の協力で、5月に市内の八坂神社にソメイヨシノの苗木3本を植樹。今後、各地に増やしていく予定だ。そんな時、竹並さんがさりげなく「わが家には、湯川博士の夫人スミさんから頂いた5本の陽光桜がある」と話した。興味を持った吉田さんは陽光桜について調べ始めた。
■戦死した教え子のため
吉田さんによると、陽光桜は愛媛県で誕生。戦時中、国民学校の教師だった高岡正明氏が戦後、約30年かけて品種改良した。「この桜の下でまた会おう」と教え子を戦地へ送ったが、ほとんどが戦死したという。亡くなった教え子を慰め、病気に強く、どんな気候でも開花する桜の研究に取りかかった。
試行錯誤を繰り返し、日本のアマギヨシノ(天城吉野)と台湾のカンヒザクラ(寒緋桜)を交配させた。ソメイヨシノより濃いピンク色の一重咲きで、同時期の春に咲く。陽光桜は国内外に贈られ、平和の大切さを伝え続けた。
■世界会議のお礼
1974年、本庄青年会議所の理事長だった竹並さんが、京都で開催された全国理事長会議でスミさんと出会う。戦後、世界平和を目指して湯川博士などノーベル賞受賞者らが世界連邦運動協会を発足。6代目会長を務めたスミさんは、世界平和会議の会場を日本で探していた。94年に本庄市で同協会の国際会議を開催。そのお礼に陽光桜の苗100本が贈られた。うち5本が竹並さんの自宅に植えられたという。しかし、桜の意味を知る由はなかった。
陽光桜もクビアカによる浸食が始まっている。2人は現状を知らせ、後世につなぐ思いを小冊子に込めた。










