全国的に珍しい…軍国主義教育の象徴「奉安庫」 志木の小学校に今も 平和のための教材に「残したい」
戦争が終わった80年前まで、「御真影」と呼ばれる天皇皇后の肖像写真や教育勅語を納めていた「奉安庫」が、志木市立志木小学校(石井都校長、児童数946人)の校長室に今も残されていることが分かった。中には教育勅語と書かれた巻き物などが入っている。軍国主義教育の象徴として、奉安殿(庫)は戦後、解体・撤去された。神社などに移され、再活用されるケースは県内でも幾つかあるが、学校内に現存する奉安庫は全国的にも珍しい。同市文化財保護審議会長の深瀬克(まさる)さん(81)は「平和のため、次世代の教育に生かしていけたら」と話している。
公民館や図書館と小学校の複合施設として2003年に新校舎が建設された同校。もともと1874(明治7)年に開設された伝統校で、昨年150周年を迎えた。郷土史に詳しい深瀬さんによると、同校は教育勅語が発布された1890(明治23)年、他校に先駆けて勅語の謄本を受け取っている。御真影は大正期に入ってからで、それらを納めた奉安庫を奉安殿の中に安置。「奉安殿は地元の資産家の寄付で、1936(昭和11)年に完成した」という。
奉安殿(庫)は全国各地の小学校に設置され、登下校の際には最敬礼が義務付けられた。深瀬さんは「天皇と国家への絶対的忠誠心を子どもたちに植え付けるものだった」と指摘する。戦後直後、解体されるはずだった同校の奉安殿は、近くの敷島神社に移され、本殿として現在も活用。元の本殿は敷地内東側の護国神社となっている。奉安庫はその際、学校の応接室に移され、新校舎建設時に校長室に置かれたようだ。
奉安庫は、高さ138センチ、幅133センチ、奥行き70・5センチ。重厚な金属製の二重扉で、内部は桐張りしてあり、錦の縁(へり)の付いた畳表が敷いてある。中には桐箱があり、その中に教育勅語の書状や御真影が入っていたとされる巻き物のほか、太平洋戦争の「開戦詔書」など11点の資料が保管。当時の出納帳もあった。
石井校長は、「代々の校長が鍵を引き継いできたが開けることはあまりなかったようだ。150周年を機に昨年、保管物を全て出してみて驚いた」と話す。同校は、保管物の資料を口語訳して、廊下の壁に張り出し、「生きた教材」として活用している。
同校OBでもある深瀬さんは、「6年生の時、掃除で入った応接室に古めかしい金庫が置いてあったのを覚えているが、今から思えばそれが奉安庫だったのだろう」と回想。「戦後つくられた校歌には、『自由と平和の道をゆく』とある。平和を考える象徴として残していきたい」と、力を込めた。










