江戸時代から利用されてきた葛西用水 埼玉・行田から県東部を南下し東京都足立区に至る 「日本三大農業用水」の一つ 世界かんがい施設遺産への登録目指す
行田市から県東部を南下し東京都足立区に至る葛西用水は、県東部の農業用水として江戸時代から利用されてきた。見沼代用水、明治用水(愛知県)と並ぶ「日本三大農業用水」の一つに数えられ、現在は世界かんがい施設遺産への申請、登録に向け準備が進められている。
葛西用水は行田市の利根大堰(ぜき)で利根川から水を取り、県東部を南下し東京都足立区に至る、広範な地域の田んぼに水を送る農業用水。土地改良区が農家の負担を基に用水を整備、管理している。
幸手市立八代小学校(坂庭正浩校長)は地域を知る学習の一環として、毎年4年生が葛西用水をテーマに学習に取り組んでいる。今年は児童9人が6月から葛西用水路土地改良区(幸手市)、利根大堰(行田市)、琵琶溜井記念館(久喜市)、幸手市内地域のポンプ場などを見学した。
八代小のある地域は農業が盛んな所で、子どもたちは小さい頃から田んぼに親しみがある。社会科の授業では家庭の生活用水と農業用水を結び付けて学習。児童たちは葛西用水路土地改良区で用水の流れについて、リモートで監視し制御する中央監視室を見学した。ポンプ場では巨大なポンプが水を送る様子を音やにおい、熱を通じて体感した。
19日の発表会で児童たちは「たくさんの人が協力して、やっと田んぼに水が届いていたことが分かった」など学習の成果を披露した。
県東部は近世まで利根川と荒川が近接し洪水などの被害が多かった。江戸幕府は利根川を東に(利根川の東遷)、荒川を西に(荒川の西遷)移して水害を防ぐとともに、田んぼに水を流す用水を整備した。
現在の葛西用水の原型となる利根川から亀有溜井まで水が送水されたのは江戸時代中期の1719(享保4)年とされ、県東部が穀倉地帯として発展する礎となった。
現在は葛西用水路土地改良区が中心となり、葛西用水を次世代に継承しようと、世界かんがい施設遺産登録に向け準備を進めている。世界かんがい施設遺産は国際かんがい排水委員会(インド)が、農業の発展に貢献、卓越した技術により建設された施設などを登録。世界20カ国177施設(2024年6月現在)が登録され、県内では見沼代用水、備前渠用水路が登録されている。
葛西用水の特徴は用水をためておく溜井(ためい)。琵琶溜井(久喜、幸手市)、松伏溜井(越谷市、松伏町)、瓦曽根溜井(越谷市)、亀有溜井(東京都葛飾区)など要所にあり、それぞれの地域で歴史を持ち、現在も親しまれている。
また、葛西用水は市街地を流れる部分が多い点も魅力だ。用水に沿って歩道が整備され、イベントが開かれるなど、地域、観光振興の場としても活用されている。
葛西用水独自の魅力を引き出しながら、世界に誇るかんがい施設の登録を目指す。葛西用水路土地改良区の戸張清所長は「偉大な先駆者たちが切り開いた用水を守り、未来へつなぐ。そのために葛西用水の歴史的価値を伝えていきたい」と話している。










