埼玉新聞

 

幕末の偉人・山岡鉄舟が書いた看板発見 100年前、大宮盆栽村に初めて移転した「清大園」 最初の住人として、村の開拓を先導 大宮盆栽美術館で来月から展示

  • 発見された盆栽園「清大園」の看板=大宮盆栽美術館提供

    発見された盆栽園「清大園」の看板=大宮盆栽美術館提供

  • 大宮盆栽村を開拓した清大園の園主清水利太郎=大宮盆栽美術館提供

    大宮盆栽村を開拓した清大園の園主清水利太郎=大宮盆栽美術館提供

  • 発見された盆栽園「清大園」の看板=大宮盆栽美術館提供
  • 大宮盆栽村を開拓した清大園の園主清水利太郎=大宮盆栽美術館提供

 剣・禅・書に通じた幕末の偉人・山岡鉄舟(1836~88)が揮毫(きごう)した、盆栽園「清大園」の看板が発見された。清大園は1925年に東京からさいたま市北区の大宮盆栽村に初めて移転した盆栽園。長さ2メートル以上ある一枚板の看板からは、清大園の繁栄をうかがい知ることができる。

 清大園はもともと、東京・千駄木にあった植木屋。菊人形なども作っていたが、後に盆栽専業に移行した。園主、清水利太郎(1874~1955)は大宮盆栽村の最初の住人として、村の開拓を先導した。

 発見された看板は、千駄木時代に掲げられていたもの。片面に「清大園」、反対の面に「種樹花盆栽」と力強く揮毫されている。看板の存在自体は以前から知られていたものの、所在は判明していなかった。大宮盆栽村美術館の学芸員、菅原千華さんが清大園に関する資料を探していたところ、秩父市の倉庫に看板が保管されていることが分かり、親族より同館に寄贈された。

 鉄舟は「江戸無血開城」の立役者として知られ、勝海舟・高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と称された。能書家でもあったため、利太郎の父藤吉が親交のあった鉄舟に依頼し、1886年6月に看板に揮毫したとみられる。

 千駄木時代の清大園の写真などは残っておらず、看板がどのように掲げられていたのかは不明だが、菅原さんは「迫力ある一枚板の看板を掲げていた千駄木時代の清大園は、有力な盆栽園であったと推察される。その園主・清水利太郎が最初に大宮盆栽村に来たのが発展の一つの要因」と述べる。

 看板は、10月3日~12月10日に同館で開催される特別展「緑のフロンティア―大宮盆栽村100年」で初公開される予定。

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