埼玉新聞

 

泣く男性「妻が帰ってきた」…亡き妻の指輪、男性の元に取り返した警官引退へ 今は警視、再会した犯人出頭

  • 「昭和、平成、令和と時代が様変わりし、今はコロナ禍で犯罪も多様化している」と語る県警捜査3課の宮下啓司調査官

 埼玉県警に、盗犯捜査に携わって通算31年の刑事がいる。捜査3課調査官の宮下啓司警視(62)。1976年に県警警察官を拝命し、同課調査官の2018年に定年退職。そのまま再任用で残り、本年度で3年目になる。「調査官の立場は組織が与えてくれたもの。仕事的には今も一介の盗犯刑事のつもりで現場に立たせてもらっている」と周囲の理解に感謝する。

 警察官人生44年8カ月。うち刑事警察が38年8カ月、盗犯担当の捜査3課が23年6カ月。盗犯捜査に興味を持ったのは85年ごろ。広域空き巣事件の捜査で現場へ急行したところ、踏切で電車の通過待ちをしている男が目に留まった。犯人の特徴とは違ったが、直感で職務質問。すると男は乗っていた自転車をぶつけて逃走した。リハビリ中だったアキレス腱の痛みを抱えながら必死に追い掛けて確保した。余罪数百件の被疑者だった。

 「若い頃に大きなホシ(犯人)を取ると、その味やにおいを覚えてしまう。おふくろの味みたいなものだね」と穏やかな口調で振り返る。

 捜査で最も大切にしていることは「被害者連絡」。解決した事件の被害者一人一人に「犯人が捕まった」と伝えに行く。13年、警察庁長官賞を受賞した広域空き巣事件では、名古屋市の男性に盗品の指輪を返しに行くと、男性は「妻が帰ってきた」と泣いて喜んだ。がんで他界した妻の遺品だったという。「被害品を返して感謝されるのは盗犯捜査の醍醐味(だいごみ)」と実感を込める。

 窃盗事件の余罪捜査では被疑者の自供が肝心になる。そのために被疑者の家族や親族を捜し、生い立ちや幼少期の話を聴く地道な捜査を続けてきた。「自分を知ってくれると親近感が湧くもの。刑事と犯人の接点をどう見つけるか」と「鬼手仏心」の姿勢で取り調べに当たってきた。

 これまで数々の重大な窃盗事件に携わり、個人としても県警本部長の表彰を計28回受けた。台湾籍の男らによる総額約5億5千万円の金庫破り事件や中国人の広域窃盗団の摘発にも貢献した。それでも今、心に残るのは大きな事件ではなく、ささいな光景だ。

 91年ごろ、JR戸田駅で、以前関わった窃盗の常習者の男性と偶然再会した。男性は暗い顔でうつむいていた。刑事の直感で悪事に手を染めていると感じ、別れ際に「もし悪いことをしているなら俺のところに来いよ」と告げた。

 数カ月後、かつて所属した蕨署から、「宮ちゃん(宮下さん)を訪ねて常習者が来たよ」と連絡があった。男性は事務所荒らしの罪を犯し、署に出頭したという。「心さえ持っていれば、何とか助けてもらいたい、立ち直りたいと出頭してくることもある。人は迷惑を掛けたり、掛けられることで絆が強くなるもの。刑事と犯人も」

 自宅は出身地の長野県内にある。単身赴任生活23年。長野に住む妻は実家で父の最期をみとってくれた。埼玉で暮らす妻の母には単身赴任を支えてもらった。「好きな刑事の仕事を最後までやらせてもらえるのは女房とおふくろさんのおかげ」と頭を下げる。楽しみは帰省した長野で5人の孫と風呂に入ることだ。

 そんな警察官人生も今年度で退官すると決めている。自らを「昭和の盗犯刑事」と認め、「こんな時代だからこそ」と真剣な表情で語る。「コロナで仕事がなくなって盗みに入ることもあるだろう。悪い道に走るのも、踏みとどまって真面目に生きるのも、人間が自分の心で判断しなければいけないこと。何とか頑張って思いとどまってほしいね」

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