2021年1月4日(月)

大宮駅の開設、定説では地元の誘致活動で設置 実は…発表された論文に注目集まる「高崎線の計画にあった」

大宮駅待合所正面(現在の大宮駅東口)鉄道院大宮写真帖=1914(大正3)年(さいたま市アーカイブズセンターギャラリーより)
現在の大宮駅東口=2020年12月22日午前、さいたま市大宮区

 北関東の玄関口としてJRや私鉄が乗り入れる大宮駅(埼玉県さいたま市大宮区)。高崎線が開業した当時は設置されておらず、地元住民らの熱心な誘致活動が実を結び開業2年後に開設したとされてきた。ところが大宮駅の設置は「高崎線の敷設計画の段階から一貫して盛り込まれていた」とする論文がこのほど発表され、注目を集めている。

 大宮駅は1885(明治18)年3月、当時の日本鉄道会社線第一区線(現JR高崎線)の駅として開業した。高崎線上野―熊谷間の開業はその2年前の83(同16)年7月。当時、県内の駅は浦和、上尾、鴻巣、熊谷の4カ所のみだった。

 さいたま市史によると、当時の大宮宿は「停車場も設置されないほどの寒村」だったという。大宮宿の衰退を黙視できないとの思いで立ち上がったのは、さいたま市名誉市民で大宮町長を務めた白井助七(1841〜1896年)ら地元有志だった。白井らは停車場地の無償提供を申し出たほか、埼玉県令(知事)の吉田清英や日本鉄道に請願や陳情を繰り返したという。

 こうした従来の「定説」が少し異なって伝わっている、と投げ掛けるのが県立文書館の学芸員佐藤美弥さん(41)だ。「大宮停車場の設置自体は計画当初から一貫して盛り込まれていた」。過去の史料を基にこう指摘する。

 佐藤さんが2020年に発表した論文「日本鉄道会社線大宮停車場の設置はいつ決まったか」によると、明治政府の中央官庁「工部省」が1881(明治14)年12月、当時の太政大臣宛てに出した文書では、東京から前橋までの鉄道線路実測図と、建築経費予算表が盛り込まれており、その中には大宮駅なども含まれている。つまり高崎線開業の2年前、大宮駅開設はすでに計画の中にあったということになる。

 この実測図と予算表は翌82年2月、日本鉄道に引き継がれた。予算表は同年7月の総会資料にも記載され、同社が工部省の計画をそのまま採用したことが分かる。

 第一区線(高崎線)では当初、県内には川口、浦和、大宮、上尾と桶川の間、鴻巣、吹上、熊谷、深谷、本庄に停車場が置かれる計画だった。しかし実際には高崎線開業と同時に、大宮駅のほか、いくつかの駅は開設されなかった。

 しかも大宮では、工部省鉄道局が同年11月、県に対し大宮宿の土地買収を依頼した直後の翌12月、白井ら10人が県に対し、停車場から中山道沿いの市街地までの土地の無償提供を申し出ている。大宮宿の人々は高崎線開業以前から、鉄道建設に積極的に協力していた。

 ではなぜ、大宮駅が高崎線開業と同時に開設されなかったのか。佐藤さんも結論は明らかになっていないという。佐藤さんは「資料では各宿場の人々が、土地を提供し工事建設にも協力している。皆が鉄道という技術を通じ、地域の発展を願っていたのではないか」と話している。

【メモ】佐藤さんの論文「日本鉄道会社線大宮停車場の設置はいつ決まったか」は「埼玉県立文書館紀要」第33号に掲載。閲覧は県内公立図書館か同館ホームページで。

購読申し込み 携帯サイト