2020年12月6日(日)

“幻の彫物大工”鴻巣の神社に名前発見 これが最後…死期悟り名を残したか 国宝の造営の関わりも指摘

日枝神社本殿で見つかった年号などの墨書と発見した斉藤真子さん(ものつくり大学横山晋一研究室提供)
彫刻に彩られ、妻沼聖天山の本殿を連想させる日枝神社の本殿=鴻巣市小谷

 埼玉県鴻巣市小谷の日枝神社の本殿を調査している、ものつくり大学技能工芸学部建設学科の横山晋一教授の研究室の学生たちが、江戸時代の彫物大工の名と年号を記した墨書を本殿の内部で発見した。記されていた名は江戸彫物大工の御三家・島村家に属する島村俊実で、横山教授によると“幻の彫物大工”といえる存在という。さらに、国宝の妻沼聖天山(熊谷市)の本殿の造営に携わった彫物大工たちとの関わりも指摘する。

 同神社の本殿は、聖天山本殿と同様に極彩色の彫刻が四方に施されている。しかし、“開かずの間”となっていた覆い屋の中にあるため、これまで氏子の役員ぐらいしか人目に触れることがなかった。棟札も見つかっておらず、製作者や製作年などは不明のままだった。

 横山研究室では6〜11月に調査を実施。4年生の川野祥吾さん(22)と斉藤真子さん(22)が図面製作のため、本殿床下を外部から調べていたところ、川野さんが文字らしきものを発見。小柄な斉藤さんが内部に潜り込み、西側の彫刻の裏に「宝暦六年 十月吉日 大工 島村俊実作」と墨で書かれているのを見つけた。

 横山教授によると、妻沼聖天山の本殿の造営工事は利根川の水害により延享元(1744)年から宝暦5(55)年まで中断。その間、職人たちは食いぶちをつなぐために近隣の寺社建築に携わった。今回の墨書の年号もその時期に重なることから、日枝神社本殿もそうした建築物の一つとみている。

 また、島村俊実は江戸の有力な彫物大工・島村家の3代目。初代の俊元は寛永年間の日光東照宮の造営に、2代目の圓鉄は成田山新勝寺の三重塔に関わった。俊実も父親の圓鉄とともに多くの工事に携わったとみられるが、その名を記した彫刻はこれまで確認されておらず、その業績は不明だった。

 建築工事では総監督である棟梁の名を棟札などに残すことがあるが、彫物大工が建築物にその名を残すことはまれ。横山教授は「俊実は(日枝神社本殿完成の翌年の)宝暦7(57)年に亡くなっている。死期を悟り、これが最後の作品と思って(彫刻の裏に)名を残したのではないか」という。

 さらに「江戸彫物大工御三家の名前が出て、日枝神社本殿の建物の価値が高まった。高い技量で作られたものであり、後世へと保存されるべき歴史遺産だ」と強調する。墨書を発見した斉藤さんも「先生から歴史的価値があると聞き、驚いた」。

 ただ、建物の老朽化が進んでおり、保存が急務の課題となっている。日枝神社の総代長の佃三郎さん(72)と総代の吉田豊さん(72)は、調査結果が文化財指定につながることを期待する。「各方面の支援を得て、(本殿を)120パーセント再生したい」と話していた。

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