埼玉新聞

 

<東京パラ>初出場で銅!車いすラグビー、埼玉・北本出身の中町選手を恩師ら祝福「誇らしい」「頑張った」

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 29日の東京パラリンピック車いすラグビー3位決定戦で、日本は2連覇中のオーストラリアに競り勝ち、2大会連続の銅メダルを獲得した。北本市出身の中町俊耶(しゅんや)選手(27)=鴻巣市在住=は出場時間こそ少なかったものの、元野球投手らしい正確なスローインを披露。夢に向かって努力する姿を見守ってきた恩師や同級生は「誇らしい」「大舞台でよく頑張った」と快挙を祝福した。

 中町選手は北本市立北小で野球を始め、同市立宮内中、本庄第一高を経て、共栄大学に進学。大学1年生の時に練習中の事故で脊髄を損傷した。所沢市の国立障害者リハビリテーションセンターに入院中、車いすラグビーを始め、2017年から日本代表強化選手になり、パラリンピックは今回が初出場だった。

 「野球少年で左腕投手だった印象が残っている」と話すのは、北小6年時に中町選手の担任教諭だった北本市学校教育課長の和泉健(たけし)さん(46)。成人式で中町選手と再会した際、車いす姿だったことに驚いたという。

 当時から車いすラグビーでパラリンピック出場を目指す夢を語っていた中町選手と連絡を取り合い、28日夜にも無料通信アプリLINE(ライン)でエールを送ると、「全てを出してきます」と返信があったという。「車いすラグビーでも努力している姿を見てきた。その成果がメダルに結び付いて、すごくうれしい。私にとっても誇りで、(中町選手は)自分を褒めてほしい」と教え子の活躍を喜んだ。

 小中高の同級生で、現在は小学校教諭の下畑壮之輔さん(26)は大宮東シニアでプレーした中学時代を含め、中町選手と共に野球に打ち込んできた。小学校時代は捕手として、中町選手とバッテリーを組んだこともあり、「負けず嫌いの彼らしく、大舞台でよく頑張ってくれた。同級生としても本当に誇りで、勇気づけられた」と祝福した。

 下畑さんと和泉さんは19年10月、東京体育館で開催された「車いすラグビーワールドチャレンジ」で中町選手を応援。同大会で日本は3位の成績で、18年世界選手権では優勝しており、金メダルへの期待感も徐々に高まっていた。

 銅メダル獲得が決まり、涙を流した中町選手。下畑さんは「うれし涙というより、悔し涙の部分もあったのではないかと思う。次は主力選手として、目標に向かって頑張ってほしい」と話していた。

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