埼玉新聞

 

古里はまだ福島…置いたままの住民票は最後の悪あがき 厳しい現状認識「戻る可能性は」 #あれから私は

  • 東日本大震災に咲く会ひまわり代表の橘光顕さん。2013年の追悼式で植えた桜が今年も開花した=2月下旬、上尾市上の県営上尾シラコバト住宅

 福島県浪江町役場から海の方向に約200メートル。埼玉県上尾市上の県営団地「上尾シラコバト住宅」に住む橘光顕さん(55)の自宅は、今もそこにある。

 東京電力福島第1原発事故により町内に出されていた避難指示は2017年3月、一部を除いて解除された。役場周辺には新しく商業施設やホテル、道の駅が完成し、徐々ににぎわいを取り戻しつつある。

 それでも人が集まるのは昼間の時間帯だけで、夜は閑散とする。体調がすぐれないときに気軽に寄れる内科、歯科のような町の個人病院は再開していないという。「浪江に戻っているイメージがパッと思いつくこともある。でも冷静に考えると、生活の基盤ができていない。戻る可能性はあまりないのかな」。橘さんの現状認識は厳しい。

 浪江町のホームページで公開されている町の人口は1月末現在、1万6681人。そのうち町内に住んでいる人は1579人にとどまる。大半は橘さんのように福島県内外で今も避難生活を送っている人だ。

 上尾に移り住んで10年がたった。震災後の11年5月、団地の避難者で構成する「東日本大震災に咲く会ひまわり」を立ち上げ、橘さんはそれ以来、代表を務めている。会では毎年の追悼式のほか、震災関連の映画上映会、他団体との交流会などを開催してきた。避難者を支援する世話人のような活動もしている。

 同団地は震災直後から、災害救助法に基づく応急仮設住宅として、埼玉県が無償で提供してきたが、福島県内の避難指示が解除されるのに伴い、現在は双葉町、大熊町を除いて有償となっている。一方、県は条例改正により、17年1月から自主避難者向けの入居要件を緩和し、専用の募集枠を設けた。

 橘さんによると、昨年3月で福島県からの住宅補助がなくなったため、現在は家賃を支払っている。「まだ復旧・復興は終わっていない。補助は出てほしいが、支払う覚悟はできている」と自己負担に備えてきた。

 住民票は浪江町に置いたまま。上尾市に移すことも検討したが、「移さないのは最後の悪あがき。自分の古里はまだ福島という思いがある」。浪江町では今のところ住民税が免除されているというが、いずれは町が納付を再開することも理解している。「その場合は住民票を移して、こちらで払うと思う」。心境は複雑だ。

 団地に入居する避難者は多いときで60世帯を超えた。近年は毎年減り続け、今も残るのは10世帯ほどだ。橘さんは他の避難者や会のことを考えつつ、自分の将来についても決断を下さなければならない。

 10年、20年後、自分が高齢者になって福祉施設に入居することを考えたとき、浪江町がいいか、埼玉や別の場所がいいか。浪江やその周辺地域の高齢者施設は働き手不足で、入居者を一定以上受け入れられないとも聞く。

 「本来は10年目で復旧・復興しているはずだが、時間がたつごとに帰れないという思いが強くなっている。年を取ると時がたつのが早く、次の10年も、あっという間だろう」と時の流れを実感する。

 「浪江とシラコバト。どちらが衰退するのが早いか。いずれにせよ、コミュニティーが崩壊しないところに避難すると思う」

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