埼玉新聞

 

そごう川口店、28日閉店 店内で開店当時の写真展、懐かしむ市民ら「東京が来た」「発展するぞ」

  • 「そごう川口店の閉店は帰る場所がなくなるような、寂しい感じ」と語る篠憲一郎さん。後ろは開業当時の写真展=川口市

 1991年に開店し、埼玉県川口市の顔として市民に親しまれてきたそごう川口店が28日、閉店する。華々しい開店から29年で幕を閉じることになった。店内は「閉店売り尽くしセール」の赤紙が並び、3階エントランスホールには開店当時の写真展に当時を懐かしむ市民の姿が見られた。

 26日、開店当時の写真を見ていた元会社員鈴木健司さん(73)は「あの頃駅前は鋳物工場しかなかった。駅の西口で父が鋳物工場をやっていて、鋳物工場がこの街の文化だった。そごう開店で『東京が来た』と感じて誇らしかった」と語った。

 同店は川口駅東口再開発の目玉として地元の誘致運動を受けて出店した。バブルを背景に店舗数は増え続け、川口は30番目だった。開店は10月16日。3階のエントランスホール前の歩行者デッキは客の波で埋まった。壁や床は本物の大理石だったことも客の興奮を誘った。

 そごう川口店のビルの正式名称は「川口駅東口第3工区再開発ビル管理組合」。

 現在、同組合事務局長の小松弘行さん(67)は開店の日、1階の駐輪場で自転車の客の対応に追われ、夕方には腕が上がらないほど疲れたという。再就職で同組合職員になって間もない38歳だった。

 「私も、川口の街も希望に燃えていた。店の人は皆、東京へ行くお客を川口で食い止めるんだという思いだった」と小松さん。

 その日、ビルの周りの道で放置自転車がないように見回りしていた当時29歳の川口商工会議所の職員で、現在は事務局長の伊藤博さん(60)は「そごうが来て川口の街が発展するぞ、という高揚感を感じた」と話す。

 同ビル11階の組合事務所で小松さんを補佐する竹村茂郎さん(72)は、開店の10年前にそごう社員として「川口へ転勤」の辞令を受けた。

 当時30代。それから40年間、川口に骨をうずめるつもりでそごうと同組合で働いてきた。「そごう出店の誘致では当時の市長が旗を振っていたから話がまとまったと思う」と話す。

 開店当時22歳の新入店員だった篠憲一郎さん(51)は川口店に13年ほどいて、呉や大阪心斎橋店などを回り、昨年3月振り出しの川口店に来た。「この店は人生スタートの店。閉店は帰る場所、実家がなくなるように寂しい」と語った。

【メモ】そごうは2000年7月民事再生法適用を申請し破綻。06年6月にセブン&アイ・ホールディングスの傘下に入り、09年8月、そごう・西武になった。同ホールディングスは19年10月、構造改革の一環としてそごう川口店の閉店を発表した。

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