埼玉新聞

 

大河「青天を衝け」放送に合わせ企画 渋沢栄一のいとこ・尾高惇忠が書いた奉納額、熊谷で特別公開

  • 尾高惇忠筆の奉納額(右上)と藍染め絵馬を来場者に説明する山下祐樹さん(左)=21日、熊谷市下川上の宝乗院愛染堂

 渋沢栄一のいとこで学問の師の尾高惇忠(1830~1901年)が文字を書いた奉納額が21日、埼玉県熊谷市下川上の宝乗院愛染堂で特別公開された。明治時代に深谷の藍玉業者らが発展を願って奉納したとされる額。NHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」の放送に合わせ、地域の歴史を知ってもらいたいと企画された。

 愛染堂は、読み方が同じことから藍染めの業者や、愛の文字から花柳界の関係者の信仰を古くから集めてきた。毎年2月に開いていた縁日が、今年は新型コロナウイルス感染防止のため中止に。その代わり尾高惇忠筆の奉納額と、北埼地域の業者が奉納した藍染め絵馬4枚(ともに市有形民俗文化財)を特別公開することになった。

 奉納額は「共進 成業 唯頼 冥護(共に進みて業を成し、ただ冥護に頼る)」という文字と、尾高藍香(惇忠の筆名)の名が書かれている。藍商の団体が明治21(1888)年に奉納した。願主に深谷の人々の名が記され、渋沢の義弟の市郎などの名前もある。

 この日は宝乗院の宮崎憲田住職が疫病退散の祈願を行った後、市江南文化財センターの山下祐樹さんが「愛染堂と藍玉産業」をテーマに解説。明治10年代ごろまでは隆盛を極めていた深谷の藍玉産業だが、20年代になると他地域に押されてかげりが見えてきたことを指摘。山下さんは「再興を期して仏に頼む思いで奉納したのではないか」と推測した。

 愛染堂は檀家が少なく、染色業の衰退もあって、一時は倒壊の危機にあった。市内外の人々の力を集め、2016年に修復が完了した。尽力した一人の羽生市の染色会社社長の野川雅敏さん(61)は「(グローバリズムの進展とともに)最近は地域への感謝や歴史を忘れ、足元を顧みない風潮が強くなっている気がする。渋沢栄一を機にもう一度見直してもらえたら」と話していた。

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