埼玉新聞

 

「麒麟がくる」衣装担当ら、影森小の人形修復 「青天を衝け」放送に合わせて 敵国だ!日米人形交流の歴史

  • 修復された市松人形(中央)と青い目の人形を眺める児童たち=3日、秩父市立影森小学校

 埼玉県深谷市出身の実業家渋沢栄一が関わった日米人形交流で、米国から贈られた「青い目の人形」と一緒に秩父市立影森小学校(新井一也校長、児童数354人)に保管されていた市松人形が修復された。青い目の人形の「友達」とされる市松人形が3日に同校へ里帰りし、新井校長は「後世まで受け継ぎたい」と語った。

 青い目の人形は県内の小学校などに12体残っている。その人形と一緒に市松人形が保管されている例が多く、さいたま市大宮区の県立歴史と民俗の博物館の杉山正司さん(63)は「青い目の人形が一人ではかわいそうだからと、贈られた学校の地元で作って添えられたのでは」と話す。

 同館はNHK大河ドラマ展「青天を衝(つ)け~渋沢栄一のまなざし~」を3月20日から開催するのに合わせ、県内に残る12体の青い目の人形も一挙公開するが、その関連で、同校の青い目の人形と一緒に残されている市松人形を修復することになった。

 修復は岩槻人形協同組合を通じ、人形は伝統工芸士の斉藤公司さん(85)、着物はNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の衣装も担当した伴戸武三(ばんどたけぞう)さん(73)に依頼。費用は手間賃のみの9万円。昨年11月から3カ月間で行った。

 市松人形は手足がバラバラで、着物もぼろぼろの状態だった。頭のみを生かし、その他は新調することに。桐塑(とうそ・きりのおがくずにのりを混ぜた粘土)で作った頭は崩れそうな状態で、内側に和紙を張って補強。着物は似た柄の生地を探してきた。

 杉山さんによると、県内の12体ある青い目の人形のうち、市松人形とペアになっているものは5体。大きさや着物はまちまちで、それぞれの地元で買い求めたものらしい。「『お人形にお友達を添えてあげよう』という温かい気持ちが感じられる」という。

 青い目の人形と一緒に約1年ぶりに同校に戻ってきた市松人形を見た6年生の新井幹織君(12)と板倉漣太郎君(12)は「歴史のある人形が学校に残っているのはすごいことで、うれしく思う」と笑顔。新井校長は「PTAや影森町会連合会から補助金の協力も得たので、保護者や地域の人ためにも披露する機会を設定したい」と話していた。

■日米人形交流

 米国で日本人移民の排斥が進むことに憂慮した米国人宣教師の発案に渋沢栄一が応えたもの。1927年に日本国際児童親善会を組織し、渋沢が会長に就任。米国から青い目の親善人形約1万2千体が贈られ、その返礼として日本から58体の日本人形を贈った。しかし、戦時中に日本国内では青い目の人形は敵国の人形として多くが壊され、300体弱しか残っていない。

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