埼玉新聞

 

「思い出はなくならない」大宮西高、閉校まであと1年 母校への感謝の思いつなぐ…卒業生有志の活動広がる

  • 「母校に感謝の気持を」と取り組む「ありがとう西高!」実行委員会のメンバー=2月24日午後、さいたま市大宮区

 さいたま市大宮区三橋の市立大宮西高校の卒業生有志による、母校への感謝の思いを伝える取り組み「ありがとう西高!実行委員会」の活動が広がっている。今年4月に中高一貫の市立大宮国際中等教育学校に改編され在校生が卒業する2020年3月、事実上の閉校となるまであと1年。同実行委員会は、共に青春を過ごした学びやの姿を記録、発信し、卒業生が母校に寄せる思いをつなげたいとしている。

■60年余りの歴史

 同校は1962(昭和37)年、大宮市立高校として開校した。63年に県大宮西高となり、94年に大宮市立大宮西高に。2001年、さいたま市誕生とともに現在の名称となった。これまでの卒業生は約1万5千人で、60年近くにわたる歴史を刻んできた。敷地内には6世紀初期に築造されたと推定される直径約35メートルの円墳「稲荷塚古墳」があり、学校のシンボルとされてきた。

 「母校がなくなることについて、正直言うと、今は悲壮感とか感慨などはない。なくなってから、その大切さに気付くのか」。実行委会長で会社経営栗原俊明さん(44)=1993年卒=は現在の心境をそう話す。

 「ありがとう!実行委員会」の活動が立ち上がったのは、栗原さんが、同級生で同高初代新聞部に所属した会社員の柿沼義郎さん(44)=同=と街で偶然再会したことがきっかけだったという。

■感謝の思い

 「大宮西高がなくなる。何かできないか」。栗原さん、柿沼さんが互いの思いを話すうちに至った結論は「母校に、純粋に、ありがとうの思いを示すこと」だったという。

 そこで西高の今を全国の卒業生に伝え、自分たちの学校が確かにそこにあったことを記録するため、まずは学校の許可を得て校内を撮影し、インスタグラム、フェイスブック、ツイッターで写真や動画を発信することにした。

 学校前のバス停、体育館の少し乱雑なロッカールーム、使い込まれて汚れたボール、中庭から見上げる夕焼け、そしてあの古墳…。「高校生の時に体験した空気が、あの頃と変わらずそこにありました」。柿沼さんは、撮影時の様子をそう振り返る。

 柿沼さんらは同時に、紙媒体での閲覧も意識した「ありがとう西高!」新聞の発行にも着手。各界で活躍する卒業生のインタビューや、西高がたどった歴史を丁寧に取材し、記事にしている。

 写真を見た卒業生と思われる人からは「この景色は昔のまんま」「また高校生に戻ってみたい」など、当時を懐かしむ反応が寄せられている。

■学校愛

 実行委はより多くの卒業生に情報を伝えようと、こうした記録活動をさらに進め、取り組みを発信するプロモーション活動の強化、卒業生の多くの世代が参加できるイベントの開催などを検討していくという。

 実行委員会に加わった大学3年の高野直樹さん(21)=2016年卒=は西高時代に生徒会長を務め、存続を求め学校側と話し合ったこともあるという。高野さんは「西高生は『学校愛』が強い。学校はなくなっても、私たちの素晴らしい思い出はなくならない。若い世代にも、この思いを発信したい」と話している。

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