埼玉新聞

 

<埼玉西武だより>努力する動機、何でもいい 2軍監督・松井稼頭央「一人でも多くの選手を1軍に」

  • 埼玉西武の2軍監督として「一人でも多くの選手を1軍に送り込みたい」と意気込む松井稼頭央(球団提供)

 今から23年前、22歳になる年だった松井稼頭央(現2軍監督)は1番打者として全試合に出場。打率3割9厘を記録し、リーグ優勝に貢献した。

 まさにレオのスターとしてその地位を確立させたシーズン。だが、松井は当時を「あの年、自分をレギュラーだと思うことはなかった」と振り返る。

 高卒で入団。1年目は「3年やって1軍に上がる」目標を持ち、西武第二球場で鍛錬を重ねた。「当時は内野手に田辺さんや奈良原さんらすごい方々がいて。このチームでどうしたら試合に出られるのかと思っていた」

 大きな転機は東尾修監督との出会い。入団当初は右打者で対左投手は打率3割の数字を残していたものの、対右は2割。足を生かせることからスイッチヒッターへの転向を命じられ東尾監督、土井正博打撃コーチの指導の下、手にできたまめでバットから手を離すのが痛くなるほど振り込んだ。

 足を生かすとはいえ、左打席は決して当てにいくのではない。「しっかり振らないと面白くないから」。こだわったのは強く振ること。それが左右両打席から数々の長打を生んだ最強スイッチ・松井稼頭央の原点だ。

 「試合に出始めた頃、(調子が悪い時も)東尾監督が使ってくださり、チャンスをたくさん頂いた。だからこの人のために打とう。この人のためにやらなくてはならない、という気持ちだった」。1997年、恩師への感謝の気持ちをひと時も忘れず結果を残し続けた。

 98年も3割1分1厘の高い打率に加えて、盗塁王(43個)にも輝き、MVPを受賞した。当時は世代交代の真っただ中。新生ライオンズの象徴とも言える背番号7が、手繰り寄せたV2だった。

 「努力をする動機は何でもいいと思う」と柔和に話すのは、今の2軍監督としての顔だ。「一人でも多くの選手を1軍に送り出したい」。昨季の2軍監督初年度から自ら打撃投手を務め、若手選手との対話を大事にするなど、選手にとって"近い存在"であり続ける。

 そして、グラウンドを見渡せば、将来が楽しみな若手であふれている。松井は言う。「まずは振る力、試合に出続ける体力を鍛えていくことが大事。失敗しても、反省して、どう生かすか」。自身が付きっ切りの指導を受けてメジャーへ羽ばたくまでの選手になったこの場所で、自らの技術と経験を注いでいく。

 90年代後半~2000年代前半、そして18年。夢を見せてくれた「ミスターレオ」は、埼玉西武ライオンズが22年前の連覇を超える常勝チームになることを望んでやまない。今、埼玉西武の土壌には松井稼頭央がいる。ライオンズファンはこの先もずっと、きらめく夢を見ることができるだろう。

 (埼玉西武ライオンズ広報部・田代裕大)

=おわり=

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