埼玉新聞

 

遅すぎ…人気観光地の商店街、更地できて景観微妙 じつは建物工事中まさかの展開 町並み回復は4年後から

  • 蔵造りの町並みで、基礎を残して更地のままになっている店蔵のあった場所=7日、川越市幸町

    蔵造りの町並みで、基礎を残して更地のままになっている店蔵のあった場所=7日、川越市幸町

  • 耐震化工事に伴い、建築当時に近い形で再建される店蔵の完成イメージ図(川越市立博物館提供)

    耐震化工事に伴い、建築当時に近い形で再建される店蔵の完成イメージ図(川越市立博物館提供)

  • 蔵造りの町並みで、基礎を残して更地のままになっている店蔵のあった場所=7日、川越市幸町
  • 耐震化工事に伴い、建築当時に近い形で再建される店蔵の完成イメージ図(川越市立博物館提供)

 川越市蔵造り資料館の耐震化が、長期にわたる中断を経て再開される見通しとなった。着工後に業者が倒産し、工事はストップ。同市は施工方法などを見直し、まずは中核となる店蔵を再建する方針を固めた。工事請負契約の締結へ向け、市議会6月定例会に承認の議決を求める議案を提案。可決されれば、耐震化は7月中にも再び始まる。

■景観を損なう更地

 小江戸らしい蔵造りの町並みが連なり、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された区域にある川越一番街商店街。観光客が行き交う同市幸町に、くしの歯が抜けたように更地となり、仮囲いで覆われた一角がある。蔵造り資料館を構成する店蔵と住居棟、添屋があった場所だ。

 住民や商店関係者らで組織され、町の保存活動に取り組む川越町並み委員会の原知之委員長(67)は「地域から『なぜ進展しないのか』『時間がかかりすぎ』といった意見が出ていた」と人々の声を代弁。地区を象徴する施設が、再び姿を現す日を待つ。

 資料館は1893(明治26)年、たばこ卸商「万文(まんぶん)」の当主小山文造が建設を始めた蔵造り建築群だ。川越の市街地は同年の大火で、3315戸のうち1302戸が焼失。商人たちは防火に優れた蔵造り建築で再建を図り、今日知られるような町並みが形成された。万文の建物群は、97(同30)年ごろまでに8棟が完成。その後、持ち主の変遷を経て昭和50年代初頭に市が取得し、資料館として公開されてきた。

■根本修理に大転換

 文化財建造物を耐震化する国の方針を受け、市は2017年に資料館の耐震対策を着工した。3億600万円の予算を組み、全棟の完成目標を市内で東京五輪が開かれる予定だった20年までに設定。だが、受注した土木建設会社が18年10月に倒産する。既に7190万円が支払われ、工事は30%ほど進んでいた。

 当初は建物内に鉄骨を組んで補強する対策を予定し、店蔵など3棟が手を付けられた状態で中断した。引き継ぐ業者は見つからず、予想以上に木材などの腐食が判明。資料館を管轄する川越市立博物館は、解体して組み直す「根本修理」に方針転換した。

 3棟の解体は20年に完了。今回は3億4065万円を費やし、通りに面したメインの店蔵を建て直す。耐震化前は後に改変された部分も多かったが、明治30年ごろ撮影された店蔵の写真を参考に、建築当時に近い姿に復元。工事中には見学会を開くなど、再建の過程を公開したい考えだ。市立博物館の岡田賢治館長(59)は「町並みの連続性を、できるだけ早く回復したい。町全体の魅力をアップできる目玉になれば」と言う。

■再公開は4年も先

 店蔵が再び一般公開されるのは27年度の予定で、7年も遅れる。解体された住居棟など、ほか7棟の耐震化は順次進める方針だが、スケジュールは未定。予算も大幅増は避けられない。ただ、原委員長は「内部に鉄骨を組む耐震化には、最初から反対の人もいた」と賛同する。「表側だけで4年も後になるが、先が見えたのは町の者にとって安心材料。観光客が多い地域なので、危険のないよう工事してほしい」と注文した。
 

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