埼玉新聞

 

<小4ひき逃げ>証拠少なくても分かるじゃない…悔しい母、時効まで1カ月 支援の輪も 夢に息子現れ笑う

  • 情報提供を呼び掛ける母親(右)。ビラ配りには孝徳君の同級生(左)も参加した=8月、熊谷市内

 熊谷市で2009年、小学4年の小関孝徳君=当時(10)=が死亡した事件の公訴時効が1カ月後に迫っている。

 「息子の命を奪ったのは誰」と問い続けた10年間。このままの状況で時効は迎えられない―。情報提供を呼び掛ける母親の元には、当時の校長や同級生など協力の輪も広がり、事件解決を訴え続けている。

■自分で発信

 「『犯人は一体どこの誰』で過ごした10年間だった」。"時効まであとわずか"と書かれたビラを準備しながら、母親はあの日からの月日を振り返る。

 事故が起きたのは09年9月30日午後6時50分ごろ。書道教室からの帰り道、自転車で帰宅途中だった孝徳君は車にはねられ死亡した。

 事件は16年に道交法違反(ひき逃げ)罪の時効が成立。自動車運転過失致死罪(当時)の時効も9月30日午前0時に迫る。8月28日には、時効撤廃を求める署名を法務省に提出した。

 なぜ逃げたのか、救護してくれていたら―。真実を知りたいと願う母親を阻んだのは目撃情報の少なさと物的証拠の乏しさだった。犯人の性別や年齢はもちろん、怒りをぶつける先すら分からない。

 「ならば自分の足で、できることを」と事故後に始めた現場付近を通る車のナンバーチェックはこれまでに約10万台分の情報を県警に提供してきた。

 しかし19年1月、県警が証拠品として保管していた孝徳君の腕時計を紛失していたことが発覚。押収した際に遺族に交付する文書が破棄されていた問題なども立て続けに明らかになった。

 そんな中、「自分から発信しなければ」とブログを開設。5月には、証拠品の鑑定を民間の事故調査会社に依頼するなど動き出した。

 その結果、事故に2台の車が関与した可能性が判明。「証拠が少ない中でも分かることはあったじゃないか…」。悔しさは拭えないが、分かったことを無駄にしないため捜査に協力してきた。

■解決願う協力の輪

 事件から10年。風化も感じる一方で、事件解決を願う人の輪も広がっている。

 「居ても立ってもいられず駆け付けた」。8月半ば、熊谷市内で行われたビラ配りに、1人の男性が参加した。母親のブログで事件を知ったという男性は栃木県から訪れ、「何とかしたい」と母親の思いに寄り添う。

 当時の教員やサッカーチームの同級生たちもビラ配りに協力。当時、事件を受け止めた人たちの中で孝徳君の存在は消えていない。

 時効まであと1カ月。母にとって事件の終わりはないが、捜査が終了することへの懸念は感じている。「ささいなことでもいい。封書で情報提供してくれた人もいる。詳しく聞きたいので、一度情報を寄せてくれた方もまた反応をくれるとありがたい」。

 呼び掛ける母親の夢には時折、孝徳君が現れ、いつもの笑顔で振り返る息子に笑って目が覚める。

 「もがいてもがいて、目の前のことをやっていきたい。夢でいつも笑っている息子のために最後まで頑張りたい」。10年間抱いてきた疑問の答えを探し続けている。

 ブログは「《未解決》熊谷市小4男児ひき逃げ事故!《時効まであとわずか》」。

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