埼玉新聞

 

中学生が熊谷空襲学ぶ 「戦争は絶対駄目」 国民服やモンペ、防空頭巾間近に 焼夷弾約8千発、国内有数の爆撃密度

  • 実際に使われていた国民服を手に熱く語る大井さん=熊谷市立富士見中学校

    実際に使われていた国民服を手に熱く語る大井さん=熊谷市立富士見中学校

  • 【地図】熊谷市(背景薄緑)

    熊谷市の位置

  • 実際に使われていた国民服を手に熱く語る大井さん=熊谷市立富士見中学校
  • 【地図】熊谷市(背景薄緑)

 熊谷市立富士見中学校は、3年生がクラスごとに熊谷空襲について学んでいる。市立江南文化財センターの大井教寛さん(52)が講義。生徒の一人、恩曽咲希さん(15)は「他国の戦争のニュースが急に身近に感じた。戦争は絶対駄目と声を上げていきたい」と、話していた。

 同校の田沼良宣校長(59)によると、「3年生は社会科の授業で第2次世界大戦の終結を学んだばかり。学校のある熊谷中心部は甚大な被害を受けた事実を知り、次世代につなぐことが大切」と、特別授業が実現したという。

 大井さんはまず、国民服やモンペ、防空頭巾など戦時中に実際に使われていた衣服を示しながら語った。また、「みんなの生活の中に戦争の爪痕はまだ残されている」として、爆弾の傷痕が残る、同市鎌倉町の石上寺の大木の写真を見せた。

 さらに、現在、一部が「かめの道」と呼ばれている、妻沼につながる道は、かつて軍需物資を運ぶために建設され、1983年5月に廃止となった東武熊谷線の跡で、今も妻沼中央公民館にその車両が展示されている。県内初の写真館が熊谷にあったからこそ、空襲直後の貴重な写真が数多く残されたと、説明した。

 空襲については、終戦前夜の8月14日、同市中心部に約8千発もの焼夷弾が落とされた。国内で1、2位を争う爆撃密度だとした。終戦前夜だった理由は、ポツダム宣言受諾のタイムラグが原因だったこと、軍用機を造っていた会社の下請け工場があり、かつて県庁所在地だったことなどを解説した。

 斉藤一平さん(14)は「熊谷で犠牲になった人たちの分もちゃんと生きていきたい」。増田紗和さん(14)は「当たり前の日常と平和が続いてほしい」と感想を述べた。社会科担当の梅沢祐樹教諭は、「活字として知るのではなく、同じ人間がどんなことを考えていたのか想像してほしい」と話していた。

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