埼玉新聞

 

陸軍将校の大礼服が見つかる 19日まで特別展 日露戦争、二〇三高地で戦死 「戦争の記憶と平和の大切さを再認識してほしい」

  • 特別展「新資料が語る戦争の風景」で展示されている大礼服

    特別展「新資料が語る戦争の風景」で展示されている大礼服

  • 指揮刀や書類なども紹介されている=川島町役場

    指揮刀や書類なども紹介されている=川島町役場

  • 【地図】川島町(背景薄緑)

    川島町

  • 特別展「新資料が語る戦争の風景」で展示されている大礼服
  • 指揮刀や書類なども紹介されている=川島町役場
  • 【地図】川島町(背景薄緑)

 日露戦争(1904~05年)の激戦地「二〇三高地」で戦死した川島町出身の陸軍将校の大礼服が見つかり、町へ寄贈された。町内の実家できり箱に入れ保管されていた。町は「戦争の記憶と平和の大切さを再認識してほしい」として、町役場で開催中の特別展「新資料が語る戦争の風景」で紹介している。

 大礼服は天皇の即位など重要な儀式に参加する時に着用した正装だ。

 町へ寄贈された一着は、日露戦争に出征した山口守雄氏が使用していた。紺色の布製で上着とズボン、帽子のセットとなっている。

 上着の肩から腰の辺りにかけて金色ボタン14個が付いており、袖には金色の装飾が施されている。赤と白色の飾帯もある。ズボンの両足部分の外側には赤色のラインが入る。帽子の上部には五芒星が大きくあしらわれ、前部には白色の羽根が付いている。

 山口氏は1875年に川島町に生まれ、陸軍士官学校を卒業した。1904年に北海道第7師団旭川第27連隊付中尉として、中国東北部で「旅順攻囲戦」に参加。二〇三高地の攻撃で中隊長として指揮を執ったが、銃弾に撃たれ30歳で戦死した。後に大尉に昇進した。

 大礼服は山口氏の実家で、60センチ余りのきり箱に入れた状態で保管されていた。実家から情報提供を受けた町教育委員会が今年1月に実家を訪れ、現物を確認した。

 きり箱には陸軍省の証書なども入っていた。町教委生涯学習課の皆川夏彦学芸員は「貴重な資料が良い状態のまま残されていた」と話す。

 一方、日露戦争では戦地での「戦利品」が全国の神社へ送られていた。同町の白井沼氷川神社の拝殿には、当時の寺内正毅陸軍大臣の署名入り証書とともにロシア軍の砲弾が保管されてきた。伊草神社にはスコップがあった。

 二〇三高地は標高203メートルの丘で、ロシア軍の旅順港を見下ろすことができた。1904年に激しい攻防戦となり、日ロ双方に多数の死傷者が出た。日露戦争の戦死者は日本側が8万8千人、ロシア側は7万5千人に及ぶ。川島からは312人が出征し、35人が死亡したという。

 町が19日まで開いている特別展では、大礼服やロシア軍のスコップ、指揮刀など日露戦争時の資料をはじめ、米軍機の飛行音を録音したレコードなど太平洋戦争に関する資料も紹介している。

 川島村戦士録によると、満州事変から太平洋戦争終戦まで(1931~51年)の戦没者は528人。町教委は「戦争を俯瞰(ふかん)的に見ることができる展示にした。過去の戦争の記憶を子どもたちにも知ってほしい」と話している。

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