埼玉新聞

 

父死去、49歳の若さ…高校野球児の息子、コーチだった父と甲子園を目指した 野球熱中へ父の母校に入った息子、父を病魔が襲って悲しむ…「ずっと見てる」と言い父死去、翌日から猛練習「一生懸命やれば父が喜ぶ」

  • ベンチの仲間に迎え入れられる小栗大志選手(右)

    ベンチの仲間に迎え入れられる小栗大志選手(右)

  • ベンチの仲間に迎え入れられる小栗大志選手(右)

 15日に行われた第108回全国高校野球選手権埼玉大会3回戦、武蔵越生は4―3で鷲宮に勝利した。武蔵越生の遊撃手、小栗大志選手(3年)の父純太さんは今年2月に病気でこの世を去った。亡くなった父の母校で挑む夏、大志選手は特別な思いを胸にプレーを続けている。病床の父と語り続けた、夢舞台への道のり。父子で甲子園を目指す戦いは、まだまだ続く―。

 大志選手は3兄弟の末っ子。2人の兄がきっかけで、物心ついた頃から野球は身近な存在だった。純太さんがコーチを務める少年野球チームの練習に参加。毎日のように自宅前で父とキャッチボールをして、野球の基礎を学んだ。

 進学先を決める際、いくつかの選択肢があったが、武蔵越生に決めた。野球に打ち込める環境であったこと、そして父の母校であったことも決め手の一つだった。進学を父に報告したときの様子について、大志選手は「ちょっと驚いた感じ。でも、うれしそうだった」と振り返る。

 そんな愛する父を病魔が襲ったのは、2025年12月。冬合宿の直前だった。母の麻里子さん(47)によると、深刻な病状を伝えると、現実を受け止めきれない様子だったという。大志選手は「(父の病気の)話を聞いたときは、悲しかったし、動揺して普段の自分じゃいられなかった」と心境を明かした。

 それでも、「プレーする姿を見せるのが恩返し」と、冬合宿に参加。2月に純太さんが闘病の末、49歳で亡くなった際も翌日から練習に参加し、野球に打ち込んだ。「周りからは『休んでもいい』と言われたけど、お父さんも自分が一生懸命、野球をやっている方が喜んでくれると思った」と決意は揺るがなかった。

 武蔵越生の泉名智紀監督は「悲しみを糧に人は成長するとはよく言うが、簡単に体現できることじゃない。彼の努力する姿からは、父を尊敬する思いがひしひしと伝わってきた」と当時の様子を語った。選手としても「人にエネルギーや幸せを分けてあげられる子。プレー面も含め、精神面でもチームの柱となっている」と全幅の信頼を置く。

 亡くなる3日前までは、会話もできており、話すことは野球のことばかりだった。「ずっと見てるから」―。父からの言葉を胸に、大志選手は今夏の戦いに臨んだ。

 チームの目標は甲子園。この日も遊撃手として先発出場し、勝利に貢献した大志選手は「チームが勝つのが、まずは1番。その上で、自分が活躍して勝利に貢献する様子をお父さんにも見ていてほしい」と話していた。

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