埼玉新聞

 

保己一“知の遺産”未来へ 温故学会「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」の版木1万7千枚を保管 渋沢栄一が協力、戦禍も守り抜く

  • 版木倉庫で群書類従の版木を手にする温故学会代表理事の斉藤幸一さん=東京都渋谷区東2丁目の温故学会会館

    版木倉庫で群書類従の版木を手にする温故学会代表理事の斉藤幸一さん=東京都渋谷区東2丁目の温故学会会館

  • 版木倉庫がある温故学会会館。理事長の斉藤茂三郎が渋沢栄一らに呼びかけ、全国から協賛を得て建てられた。国の登録有形文化財

    版木倉庫がある温故学会会館。理事長の斉藤茂三郎が渋沢栄一らに呼びかけ、全国から協賛を得て建てられた。国の登録有形文化財

  • 版木倉庫で群書類従の版木を手にする温故学会代表理事の斉藤幸一さん=東京都渋谷区東2丁目の温故学会会館
  • 版木倉庫がある温故学会会館。理事長の斉藤茂三郎が渋沢栄一らに呼びかけ、全国から協賛を得て建てられた。国の登録有形文化財

 本庄市出身の盲目の国学者、塙保己一の顕彰団体「温故学会」(東京都渋谷区)は、江戸時代に保己一が編さんした「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」の版木1万7224枚(国指定重要文化財)を保管している。保己一が心血を注いだ“知の遺産”は、関東大震災や戦火をくぐり抜け、多くの人に守られてきた。保己一を主人公にした蝉谷めぐ実さんの小説「見えるか保己一」が直木賞候補となり、版木も注目を集めそうだ。

■江戸の版木、今も現役

 温故学会会館の版木倉庫に入ると、図書館のように並ぶ棚に「群書類従」の版木が整理されて収められている。1819(文政2)年までに刊行が完了した「群書類従」は666冊から成り、木版印刷で出版された。版木は1万7千枚を超えるが、両面彫りのため、ページ数としてはその倍になる。

 温故学会では、依頼があればその版木から刷りたてをした史料を有償で頒布している。今でも現役の版木なのだ。

 版木の大きさは縦23センチ、横47センチ。1枚に400字、草書や楷書で彫られている。使用している木は、硬くて耐水性に優れたヤマザクラ。200年も経過すれば板が収縮したり、ゆがんだりすることも考えられるが、「この版木で江戸時代に刷ったものと、現代に刷ったものを重ねると文字がぴったり合う」。温故学会代表理事の斉藤幸一さん(72)は江戸の版木職人の技に驚く。

■渋沢栄一も協力

 保己一は、理解ある商人らから多額の借金をして「群書類従」を出版したが、その借金は保己一の代で完済することはできなかった。さらに明治時代に入ると、維新後の混乱で版木の管理も困難になり、保己一の子孫が版木を国に献納。その後は保管場所を転々とし、版木の所在が分からなくなってしまった。

 1909(明治42)年、医師で歌人の井上通泰が文部省の構内で版木を偶然発見し、保己一のひ孫の塙忠雄に連絡した。忠雄と井上、深谷出身の実業家の渋沢栄一ら4人により、保己一の顕彰団体「温故会(現在の温故学会)」を設立。同会に版木が下付された。

 同会は、保己一の墓がある愛染院(東京都新宿区)にれんが倉庫を建て、版木を搬入するが、23(大正12)年の関東大震災で倉庫が倒壊。かろうじて版木は無事だったが、新たな保管場所として、27(昭和2)年に温故学会会館が渋谷に建設された。

 この建設地の選定などで、大きな力となったのが渋沢だった。建物は耐火性や耐震性を考慮して、当時としては珍しい鉄筋コンクリート2階建て。渋沢と縁が深い清水組(現清水建設)が施工した。

■焼夷弾を投げ出し守る

 温故学会の初代理事長を務めた忠雄には子どもがなく、塙家の遺志を継いで2代目理事長となったのが、忠雄の歌の門人の斉藤茂三郎。現在の代表理事の斉藤幸一さんの祖父だ。

 戦時下の44(昭和19)年、国から会館の接収と、溶かして軍需品にするため保己一の銅像の供出を求められた。それに対し、茂三郎は「日本の精神がなくなる」と断固拒否したという。

 翌年5月には東京に空襲があり、渋谷も大きな被害を受けた。幸一さんによると、会館の玄関先に焼夷(しょうい)弾の一部が落ちてきた。茂三郎はとっさに焼夷弾を投げ出したが、着ていた服に引火。防火用水に飛び込んで助かったという。「絶対に守らないといけないと、決死の思いで後先を考えず体が動いたんでしょうね」と祖父の心中を察する。

 保己一の魂を受け継いできた同会にとって、「見えるか保己一」が直木賞候補になったのは明るい話題だ。幸一さんは「『本を読んだよ』と言って来館する人もいる。これをきっかけに多くの人に知ってほしい」と話した。

【塙保己一(はなわ・ほきいち)】 1746(延享3)年、現在の本庄市児玉町保木野生まれ。7歳で失明し、15歳で江戸に出て盲人一座の雨富検校の弟子となり、国学の道へ。41年の歳月をかけ、各地で失われつつある文献をまとめた「群書類従」を編さん。収録文献は1277点、総冊数は666冊に上る。48歳の時に和学講談所を設立し、晩年には盲人一座の最高位の総検校に就任。76歳で死去した。

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