戦争の記憶 上尾の築根さん 空襲で妹2人と祖父を亡くす体験、自伝に 「ひどい目に遭うのはいつも弱い者。戦争は本当に駄目」 2つの文学賞で準賞に
昨年、埼玉文学賞(埼玉新聞社主催)短歌部門で準賞を受賞した上尾市の築根喜美江さん(93)が、戦時中や戦後の記憶をまとめた自伝「長女に生まれて」で「第57回埼玉文芸賞」(県、県教委主催)文芸評論エッセイ・伝記部門の準賞を受賞した。戦後80年の節目をきっかけに、90歳を超えて自身の戦争体験をまとめた作品が、二つの文学賞で準賞に輝いた。
7人きょうだいの長女として生まれた築根さんは、12歳の時、当時住んでいた東京の大森で空襲に遭い、妹2人と祖父を亡くした。
米軍による本土への空襲が激しさを増していた1945年4月15日夜、築根さんと家族が住む大森の町に空襲警報のサイレンが鳴り響いた。築根さんは祖父と母、3人の妹と生まれたばかりの弟と共に避難を開始。3歳の妹を背負い、海の方へ逃げる途中で空襲の直撃を受けた。「ざーっと、にわか雨のような焼夷(しょうい)弾の落ちる音、照明弾も落とされて昼間のように明るかったのを鮮明に覚えている」。築根さんに大きなけがはなかったが、母やきょうだいは大やけどを負った。
祖父と足の悪かった9歳の妹を避難途中に見失った。空襲の時は留守だった父が翌日に避難経路を捜しに行くと、道路沿いの防空壕(ごう)で母が編んだ祖父のセーターの袖口部分が見つかった。築根さんは実際に見ていないが、遺体は顔が判別できないほど焼け焦げていたという。妹の遺体には、足に着けていたコルセットの金属部分が残っていた。
2人の遺体は自宅の焼け跡で火葬した。築根さんは点火する時に父に呼ばれ、火が消えないように燃やし続けた。遺骨は手作りの木箱に納めた。全身にやけどを負っていた7歳の妹も空襲から5日後に亡くなり、同じように火葬した。
築根さんは60歳ごろから短歌を、80歳からは俳句も始め、日々の生活の中で作った短歌は4千首を超える。戦後80年の昨年、「テレビで戦争のことが取り上げられ触発された」と「戦のなかを」と題した短歌20首を埼玉文学賞に応募した。祖父と妹の火葬を詠んだ「白骨(しらほね)を 素手で二つの箱に分く 小さいお骨 大きいお骨」など、戦中戦後の出来事を表現し、そのリアリティーが高く評価された。
この受賞をきっかけに、埼玉文芸賞への応募を決意。締め切りまで限られた時間の中で、以前から書き留めていた自分史を基に、震える手で鉛筆を握り、原稿用紙35枚分を書き上げた。
世界各地で戦争が続く現状に、「ひどい目に遭うのはいつも弱い者。戦争は本当に駄目」と力を込める。今回の受賞を築根さんの孫たちも喜んでいるといい、「孫たちも読みたいと言っている。本ができたら送りたい」と笑顔を見せていた。
築根さんの作品「長女に生まれて」を収録した「文芸埼玉115号」は今月末に刊行される。「戦のなかを」は、埼玉新聞埼玉文学賞ホームページで作品を紹介している。
文芸埼玉についての問い合わせは、さいたま文学館(電話048・789・1515)へ。











