「今」を生きる命写す 写真作家の浅見俊哉さん カメラを使わない技法「フォトグラム」 被爆樹木に感光紙かざす、命に触れて野外制作
2012年から毎年広島を訪れ、カメラを使わないフォトグラムという技法で、原子爆弾の惨禍を生き抜いた「被爆樹木」を写し続ける写真作家・浅見俊哉さん(42)。「初めて目にした時、被爆樹木が『今』を生きている事実がうれしかった。光や風を受けた枝葉のゆらぎや美しい影を留めたいと思った」と語る。戦後80年の8月6日午前8時15分、今年も浅見さんは被爆樹木の命に触れて野外制作を行った。
■命の木
1945年8月、投下された原爆の爆心地から約2キロ圏内で被爆し、再び芽吹いた木は被爆樹木と呼ばれ、広島市によると、市内には今年4月1日現在で159本が残っている。
浅見さんが被爆樹木を写すきっかけとなったのは2011年の東日本大震災で直面した「原子力とは何か」という自身への問い。翌年、答えを求めて広島を訪ね、時が止まった原爆ドームや平和記念資料館で人の影が焼け付いた石を見て、「原爆が街全体をフォトグラムにしてしまった」と感じたという。
偶然手にした「被爆樹木マップ」で被爆樹木の存在を知り、爆心地に最も近い370メートル地点にあるシダレヤナギと出合った。たくましく命をつなぐことへの驚きと、感謝の気持ちが込み上げた。「今を生きる樹木の影をフォトグラムで写し撮り、影が持つ『死』のイメージを『生』に転換させ、歴史を生きた木と人が対話する時間を生み出すことができるのでは」と、制作に打ち込んだ。
■木と人の輪
原爆の投下時刻に黙とうし、シダレヤナギの枝葉を感光紙にかざして時間の経過をアートで表現する浅見さんの姿に、足を止める市民も増えた。シダレヤナギの真向かいにある市青少年センターの協力もあり、市内の公共施設で個展を開催、活動と人の輪が広がった。
17年から「被爆樹木の下で」という企画を展開し、音楽家とのライブパフォーマンスやワークショップで「今」を共有。賛同者は徐々に増え、戦後80年の今年は、浅見さんのほか、被爆3世で左手のフルート奏者畠中秀幸さんら9人のアーティストが集い、作品展示やダンス、ライブを行った。また、これまでの活動を見直し、新たな発信を模索する機会になった。
広島には平和教育で受けた原爆の衝撃的な写真などからトラウマ(心的外傷)になり、原爆や戦争の話から距離を置く人もいるという。浅見さんは「惨禍を生き抜いた被爆樹木と、共に生きている時間を重ねることで、それぞれに日常や平和の大切さを感じてほしい。現場を訪れ、見て、聞いて、自身で体験することを大事に思っている人は増えている」と語る。
浅見さんは、今年初めて8月9日に長崎市の山王神社に息づく被爆クスノキを訪ねた。突然の訪問にもかかわらず隣接する施設から撮影場所の協力を得るなど、樹木が取り持つ温かさに触れた。午前11時2分、降っていた豪雨がやみ、爆心地に向かって風が吹き、セミが鳴き始めた。クスノキが受け入れてくれるような不思議な体験の中で、浅見さんはフォトグラムに今を生きる命を描いた。
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浅見さんのフォトグラムを使ったワークショップが、9月7日にさいたま市南区の「STUDIO makeover 武蔵浦和」で、21日に川口市の「SKIPシティ映像ミュージアム」で開催される。問い合わせは、浅見さん(メールアドレスshunya.asami@icloud.com)へ。
【浅見俊哉(あさみ・しゅんや)】 1982年生まれ。2006年文教大学教育学部美術専修卒業。さいたま国際芸術祭2023市民プロジェクトキュレーターを務める。代表作「呼吸する影―被爆樹木のフォトグラム」










