埼玉新聞

 

2歳三男が死亡、母が絞め殺す「足手まとい」…さらに5歳三女を川に落とす 戦後80年、満州から逃げきった男性が語った惨状「誰もが心なくした」 「私が育てる」川からはい上がった三女を抱いた姉、5日後に衰弱死

  • 中川村開拓団時代の生活を振り返る高橋章さん=7月、秩父市内

    中川村開拓団時代の生活を振り返る高橋章さん=7月、秩父市内

  • 高橋家の写真。祖母(左から2人目)以外の家族7人で旧満州に渡った(高橋さん提供)

    高橋家の写真。祖母(左から2人目)以外の家族7人で旧満州に渡った(高橋さん提供)

  • 中川村開拓団時代の生活を振り返る高橋章さん=7月、秩父市内
  • 高橋家の写真。祖母(左から2人目)以外の家族7人で旧満州に渡った(高橋さん提供)

 1945年8月15日は、戦争の恐ろしさを知った日―。秩父市の高橋章さん(91)は当時、満蒙(まんもう)開拓団の一員として中国東北部の旧満州にいた。「日本の敗戦を分かっていたのか、突然、地元住民(中国人)がわれわれに槍(やり)や鎌を向けて襲ってきた」。当時10歳の高橋さんは、母・ユキさんらと共に逃げきったが、現地の日本人約450人のうち50人ほどが命を奪われた。「あの時の中国人の目は、日本人への恨みに満ちていた。われわれは被害者であり、加害者でもあった」

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