埼玉新聞

 

「たまたま運がいいと悪いの差で私は生きている」…戦争の不条理さ訴える さいたま市で平和祈念講演会 原爆被害者や国境なき医師団の心理士が語る

  • 広島での被爆体験を語る佐伯博行さん=3日、さいたま市大宮区のレイボックホール

    広島での被爆体験を語る佐伯博行さん=3日、さいたま市大宮区のレイボックホール

  • パレスチナ人の同僚から託された手紙を読む福島正樹さん

    パレスチナ人の同僚から託された手紙を読む福島正樹さん

  • 広島での被爆体験を語る佐伯博行さん=3日、さいたま市大宮区のレイボックホール
  • パレスチナ人の同僚から託された手紙を読む福島正樹さん

 さいたま市主催の平和祈念講演会が3日、同市大宮区のレイボックホールで開催された。254人の市民らを前に原爆被害者や国境なき医師団の心理士が講演し、戦争の理不尽さや平和の尊さ、関心を持つことの大切さを訴えた。

 ■広島の原爆

 県原爆被害者協議会の佐伯博行さん(81)は1944年に広島市内で生まれ、爆心地から約2・3キロ離れた自宅で被害に遭った。当時の記憶はないが母から聞いた話によると、爆風で2階は吹き飛ばされたものの、1階にいた佐伯さんと母、姉の3人は無事だった。内地勤務の軍人で少し離れた場所にいた父もけがはなかった。歩いて自宅に戻った父は、吹き飛ばされた2階を見た時のことを「『独りになった』と感じた。裏の防空壕から元気な親子が3人出てきて、涙が出るほどうれしかった」と語っていたという。

 母からは「近所にお前と同じくらいの男の子がいたが、外にいて爆風で飛ばされて3日後になくなった」と聞かされた。佐伯さんは「たまたま運がいいと悪いの差で、私は生きているけど近所の男の子は亡くなった」と声を落とし、戦争の不条理さを訴えた。

 ■海外の紛争地

 国境なき医師団の心理士、福島正樹さん(41)は海外での支援体験を語った。滞在したパレスチナのヨルダン川西岸地区ナブルスは、周囲をイスラエル人の入植地に囲まれている。

 現地では、息子を亡くし自宅から出られなくなった女性のカウンセリングを担当した。鉄くずを集める仕事中に入植地に入ってしまい遺体で発見された息子を、「いつか帰ってくるんじゃないか」と家の前で待ち続ける女性。福島さんは「今日も息子さんの死を悼んでいると思う。これがパレスチナの現状です」と述べた。

 そして最後に、パレスチナ人の同僚から預かった手紙を朗読した。イスラエルによる侵攻で多くの人が家や家族を失い、「次は自分の番かもしれない」とおびえながら暮らしていること。時折、自分が笑っていることに気付くと罪悪感や恥ずかしさに襲われること。「パレスチナ人にとっての平和は夢ではなく傷跡。手の届かない記憶であり、何度も何度も裏切られてきた約束」としながらも、「それでも私たちは証言し続けます。なぜならば沈黙は降伏を意味するから。それだけは決して受け入れることはできないのです」と結んだ。

 「戦争は過去のものではなく現在も起きている」と伝えたかったという福島さん。手紙を読み終えた後、「一人でも多くの人に平和を伝えてください。その語りが繰り返されて、だれかを助けるかもしれません。ぜひ世界に目を向け続けてください」と力を込めた。

 ■平和フォトコンテスト

 講演会では、子ども平和フォトコンテストの表彰式も行われた。197の応募作品のうち、小学生の部 深沢航太郎さんの「お昼寝」、中学生の部 岸下芽依さんの「ひこうきぐも」、高校生の部橋崎夏芽さんの「応援したくなる木」が最優秀賞に輝いた。

 写真部に所属している岸下さんは親から譲り受けた一眼レフカメラで、雲一つない青空を飛ぶ飛行機を撮影した。「自分たちにあって、戦時下の子どもたちにないものは何だろうと考えた時に浮かんだのが青い空だった」と岸下さん。受賞を喜びつつ、「ごはんを食べること、家族と話すこと、小さいことからも平和は感じられる。日常から意識し、感謝しながら生活したい」と述べた。

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