埼玉新聞

 

「全ての命 重さ等しく」 埼玉・東松山の丸木美術館 学芸員の岡村さん 分断の時代、「原爆の図」が問う

  • 「原爆の図第8部《救出》」の前に立つ岡村幸宣さん。先頭で負傷者を運ぶ男性は丸木位里さんがモデルという=7月29日、東松山市下唐子の原爆の図丸木美術館

    「原爆の図第8部《救出》」の前に立つ岡村幸宣さん。先頭で負傷者を運ぶ男性は丸木位里さんがモデルという=7月29日、東松山市下唐子の原爆の図丸木美術館

  • 「原爆の図第8部《救出》」の前に立つ岡村幸宣さん。先頭で負傷者を運ぶ男性は丸木位里さんがモデルという=7月29日、東松山市下唐子の原爆の図丸木美術館

 東松山市内の都幾川のほとりにある「原爆の図丸木美術館」は、画家の丸木位里さん(1901~95年)、俊さん(12~2000年)夫妻が共同制作した「原爆の図」を展示する美術館だ。学芸員の岡村幸宣さん(51)は「丸木夫妻は、全ての命は等しい重さを持つと考えていた」と話す。戦後80年、分断が深まる社会に「原爆の図」は強いメッセージを投げかける。

 ▼不思議なコミュニティー

 岡村さんと丸木美術館との出合いは1996年春。当時は美術大学の学生で、学芸員になるための実習先として選んだ。バブルの余韻が残る頃だったが、「流行と真逆の美術館の実情を知りたい」というのが、その動機だった。

 既に位里さんは他界していたが、俊さんの周りにさまざまな人たちが集まってきた。仕事が終わると皆で食事をして、時には酒を飲んで、そのまま離れで寝てしまう人も。「不思議なコミュニティーがあった。大学の授業では得られない強烈な体験だった」と振り返る。

 生活の営みと地続きの場所に、原爆の惨禍を描いた絵がある。それが丸木美術館。「大事に思い、皆で支える手触りが伝わってきて、気持ちのいい場所と思った」

 実習終了後、引き続き学芸員として働くことを誘われる。この時は断って、欧州の美術館などを自転車で巡った。帰国後、「学芸員として働きたい」と伝えた。

 ▼誰も取りこぼさない

 45年8月6日、広島に原爆が投下されたこの日、丸木夫妻は浦和市大谷場(現さいたま市南区)に疎開していた。実家が爆心地から2・6キロの場所にあった位里さんは、列車に飛び乗り、9日夜に広島に入る。俊さんもその後を追う。2人は焼け野原となった街で惨状を目の当たりにする。

 夫妻が「原爆の図」の制作を決意するのは48年。占領下で、原爆についての報道は禁じられていた。被災した家族らに話を聞いて構想を練り、絵筆を握った。「原爆の図」は巡回展で全国を巡り、大きな反響を呼んだ。50~53年の4年間で約170カ所で約170万人が来場したという。67年5月、「原爆の図」を展示するための施設として、丸木美術館が開館した。

 岡村さんが学芸員として働き始めたのは2001年。この時は俊さんも他界しており、美術館に残されていた資料や、当時の新聞や雑誌、平和運動の資料などから夫妻の足取りをたどった。

 「原爆だけが人の命を奪うわけでなく、日本人だけが被害者というわけではない」。夫妻は原爆の惨禍にとどまらず、さまざまな暴力や加害の記憶と向き合っていった。アウシュビッツや南京大虐殺、公害、米兵捕虜の虐待、被爆地での朝鮮人への差別…。岡村さんは夫妻の人物像について語る。「正直に事実と向き合い、誰も取りこぼさず、暴力について考え続けていた」

 ▼東日本大震災が転機に

 11年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故は、美術館にとって一つの転機になった。生前、原発に反対していた丸木夫妻だが、岡村さんは「自分は核の問題について、きちんと向き合ってこなかった」と衝撃を受けたという。

 震災直後、全国的に原発事故を想起させる企画が忌避される空気があった。それに対し岡村さんは「これだけのことが起こって覚悟を決めた」。核問題など社会性のある作品を発表している若手アーティストの企画を積極的に開催していく。「今の時代だからこそ見える視点があり、若いアーティストはそれを提示できる」と話す。

 今、世界で戦火が絶えず、社会の分断が進む。「全ての命に思いをはせる想像力を養っていくにはどうしたらいいのか、考え続けていくことが必要だと思います」。アートという表現手段を使って、岡村さんは丸木夫妻の思いを次代に伝える。◇

 丸木美術館は全館改修のため、9月29日から長期休館となる。同館では基金への協力を呼びかけている。問い合わせは、同館(電話0493・22・3266)へ。

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 原爆の図 水墨画家の丸木位里さんと、妻で油彩画家の俊さんが共同制作で、原爆投下の災禍を描いた全15部の作品。1950年に第1部「幽霊」を発表してから32年間にわたって描き続けられた。原爆投下直後の広島の爆心地を描いた作品をはじめ、水爆実験による「第五福竜丸」の被ばく、米兵捕虜の虐殺といった加害の側面も画題としている。50年から「原爆の図」の巡回展が国内から海外まで行われ、原爆投下の悲劇や理不尽さを伝えた。

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