埼玉新聞

 

26年の人生、疾走の軌跡…尾崎豊さん没後30年、ゆかりの所沢で企画展 思い出に触れる「マップ」も

  • 尾崎豊さんが愛用していたギターと尾崎さんの映像=所沢市

    尾崎豊さんが愛用していたギターと尾崎さんの映像=所沢市

  • 父親の尾崎豊さんについて語る尾崎裕哉さん=2022年12月19日、所沢市

    父親の尾崎豊さんについて語る尾崎裕哉さん=2022年12月19日、所沢市

  • 尾崎豊さんが愛用していたギターと尾崎さんの映像=所沢市
  • 父親の尾崎豊さんについて語る尾崎裕哉さん=2022年12月19日、所沢市

 「卒業」や「15の夜」などの楽曲を作ったシンガーソングライター尾崎豊さんが26歳で亡くなって30年。尾崎さんの実像に迫る企画展「OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展」が、所沢市東所沢和田のところざわサクラタウンで始まった。生前に朝霞市で暮らすなど、埼玉にもゆかりのある尾崎さん。会場には愛用のギターや楽譜などが並び、尾崎さんが残した「音」と「生」の、疾走の軌跡を伝えている。

 尾崎さんは1965年に生まれ、朝霞市内の小学校に通うなどした。高校在校時に最初のシングル曲「15の夜」とアルバム「十七歳の地図」を同時発売。自らの感情や社会の矛盾などを率直な歌詞で表現し、力強さと繊細さを備えた歌声で当時の若者たちから大きな支持を集め、「10代のカリスマ」などと呼ばれた。92年4月に肺水腫のため亡くなった。墓地は所沢市内にある。

 尾崎さんが生前に残した楽曲は71曲。世代を超え現代にも聴き継がれている。

 サクラタウン内の「角川武蔵野ミュージアム」に設けられた会場では「I LOVE YOU」や「Forget―me―not」などの歌詞が書かれたノートや楽譜、レコーディング用歌詞シートが展示されている。尾崎さんのライブでの映像が流れ、愛用していたギターやピアノも並ぶ。尾崎さんが紡いだ言葉を映し出したデジタル空間も用意されている。

 「尾崎豊 武蔵野マップ」は、尾崎さんと武蔵野との関わりを浮かび上がらせた内容。少年時代に通っていた駄菓子店や近所の友人と遊んでいた公園、「坂の下に見えたあの街に」の舞台となった坂などを地図に落とし込んで紹介する。会場で配布している。

 会期は2月5日まで。入場料は一般1800円、中高生1300円、小学生800円。

■父・豊さんは「かっこいい男」/尾崎裕哉さん

 「OZAKI30 LAST STAGE 尾崎豊展」のスタートを前にした昨年12月19日には、尾崎豊さんの息子でシンガーソングライター尾崎裕哉さんと音楽プロデューサー須藤晃さん、フォトグラファー田島照久さんがトークセッションを行った。裕哉さんはセッション前の会見で、父・豊さんについて「彼がこの世に残したものはすてきな輝きを放ったものと思う。かっこいい男です」と心境を語った。

 裕哉さんは毎年3~4回、豊さんの墓参りに行くと説明。「学生の頃、祖父がいた朝霞の実家に遊びに行って本棚や机を物色し、ここにいたんだなと思いをはせた」と語った。

 豊さんの存在には「僕が10代の時は、どういう人間なんだろうと模索していた。ひたすら楽曲を聴いてきた」と回想し、「彼は父親でありながら偉大なアーティスト」と強調した。

 豊さんの楽曲を裕哉さんがツアーで披露すると「多くの心を揺さぶったんだなということを目の前で体感する」という。「それは彼が残した幸せであり、僕がそれを受け継いでいけるかどうか分からないが、いろんな人の思いをくみ取りたいと思って歌っている」と打ち明けた。

 尾崎さんの育ての親でもある須藤さんは「朝霞の実家には何度も行った。『十七歳の地図』の発売日に朝霞の西友(当時)に行ったら『置いてない』と電話がかかってきた」とエピソードを披露した。

 尾崎さんのジャケットデザインを手がけた田島さんは「所沢の街を歩いて、こういう所で撮影できたら良かったなと感じた」と話した。

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