埼玉新聞

 

胸に刻まれた伝統「OMIYA」…甲子園で見る人を熱くした大宮工業、高校再編で来年4月に新校名へ 紫紺の大優勝旗を埼玉に初めて持ち帰った「逆転の宮工」 古豪が最後の夏に挑む

  • 堂々と入場行進する大宮工の選手たち

    堂々と入場行進する大宮工の選手たち=9日午前、県営大宮球場

  • 選抜大会優勝の記念碑を磨く大宮工の鈴木慎之助主将(右)と内野遥希副主将

    選抜大会優勝の記念碑を磨く大宮工の鈴木慎之助主将(右)と内野遥希副主将=4日午後、大宮工業高校

  • 堂々と入場行進する大宮工の選手たち
  • 選抜大会優勝の記念碑を磨く大宮工の鈴木慎之助主将(右)と内野遥希副主将

 第107回全国高校野球選手権埼玉大会が9日、さいたま市の県営大宮球場で開幕した。開会式で堂々と入場行進したのは、胸に「OMIYA」と刻まれた伝統のユニホーム、大宮工業高校。同校は県立高校の再編整備により、来年4月に新校名へと変わる。かつて甲子園で優勝を果たした「宮工」が挑む最後の夏が始まった。

 1968年春―。大宮工業は埼玉に初めて紫紺の大優勝旗を持ち帰った。甲子園初出場ながら全5試合のうち3試合を逆転で勝ち抜いた。準決勝では、後にプロ野球で活躍した東尾修投手を擁する箕島高校(和歌山)に5―3で勝利。苦境をはね返す粘り強さと執念は「逆転の宮工」と呼ばれ見る人を熱くした。

 「ほとんどが大宮市出身選手の公立高校で、工業高校で優勝できたことは今でも誇りに思う」。そう話すのは選抜大会優勝メンバーの品川和男さん(74)。今春で97回目を迎えた選抜大会の歴史で工業高校の優勝はこの1度だけ。記録にも記憶にも残る偉業は時を経ても価値を失わない。

 同年は夏の甲子園にも出場した。結果は2回戦敗退だったが、春夏の甲子園出場は地元球児たちの心を動かした。聖地を目指して同校の門をたたく選手は増加。一時は部員が100人を超える大所帯となった。現在チームを率いる大谷慎吾監督(48)もその一人だ。「われわれの世代は1学年50人ほど。大宮工業の偉業を知って、甲子園に一番近い公立高校だと思い、入る人が多かった」と当時を振り返る。

 伝統校の象徴は、同校の玄関口で輝きを放つ。正門の傍らにあるのは、甲子園優勝を記念した野球ボールの石碑。2012年に建てられた記念碑には、選抜大会優勝までの戦績が彫られている。毎週末には監督、野球部員が丁寧に磨き上げる。鈴木慎之助主将(18)は「見るたびに自分たちは偉大な歴史を背負っていると感じる。触れるだけで力がもらえる」と実感を込めた。

 現在の部員は3学年23人。時代は移り変わり、私立の強豪校が台頭した。21世紀に入り、県勢の公立高校は甲子園出場を果たせていない。それでも、伝統のバトンは受け継がれる。品川さんはこれまで約20年間、母校の練習に足を運ぶ。「どんなに厳しくても、甲子園を目指してほしい。学校名が変わろうと、大宮工業の誇りを持って挑戦することが大切」とエールを送った。

 新校名は大宮科学技術高校。胸に刻まれた「OMIYA」の文字は残った。甲子園歴史館に当時のユニホームを寄贈した品川さんは「ぜひとも歴史のあるものは形として残してほしい」。校章などの変更を加え、継続使用するかは、統合する浦和工との話し合いを通じて決定する。

 「古豪復活!伝統を再び」。「宮工」最後の夏は大きなスローガンを掲げた。初戦は12日、越谷市民球場で春日部高校と対戦する。大谷監督は「大宮工業は執念の野球。どんなに苦しくても簡単には倒れない」。力強い言葉に伝統を紡ぐ強い信念がにじんだ。

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