戦時中の日常を生々しく 埼玉・富士見の西中で平和講演 91歳の萩原さんが語る 戦時中、教師から「将来、何になるか」と問われた子どもらが「立派な兵隊になり、国のために死にます」と答え、拍手も
富士見市立西中学校(生徒数393人、堀川博基校長)で3日、3年生約130人を対象にした平和祈念講演会「戦後80年いま私たちにできることを考える」が開かれ、戦争体験者の萩原弘さん(91)が講演した。戦時中に地元の小学生だった萩原さんは、空襲などを経験した当時の苦しかった生活を語り、生徒らは「戦争の怖さを実感し、一人でも多くの人に伝え続けたい」と心に刻んだ。
「当時の人は国のために命をささげるのは名誉なことだったんですか」と質問する女子生徒。「天皇は神様で、言われたことは従わなくてはいけなかった。そういう教育だった」と萩原さんは答えた。
講演会は同校の社会科授業の一環。戦後80年が経過し、戦争体験者の高齢化が進む中、市民から直接体験談を聞くことにより、命の尊さや平和について考える機会を提供するのが狙い。市立鶴瀬公民館が1986年から推進する「戦争体験を語る市民派遣事業」との連携で実現した。
講師の萩原さんは旧鶴瀬村(現・富士見市)出身。小中学校時代を地元で過ごした後、著名な漫画家に弟子入りしたが、2年後にその漫画家が急死したため断念。会社員などを経て都内で印刷業を営んだ。2020年から同公民館の依頼を受け、毎年市内の小学校で講演を行っている。
この日の講演は同校体育館で行われ、舞台に設置された大型スクリーンに、萩原さんが小学生時代の記憶を頼りに描いた漫画を投影した。萩原さんは自らの生い立ち、当時の村人の生活実態、学校で子どもたちにどんな教育が行われていたか―など実体験を生々しく再現した。
萩原さんによると、鶴瀬村は戦時中、児童らがはだしや草履などで生活する貧困地域で、牛や馬のふんを手でつかみ、投げ合っては手を洗わない不衛生な生活だった。夜は敵機の空襲を避けるため、「灯火管制」が敷かれ、家の明かりはつけない暗い生活を強いられていた。
学校では男子が木刀、女子がなぎなたによる軍事教練が行われ、子どもたちは校庭に自らの体の大きさに合った「タコつぼ防空壕(ごう)」を造らされた。授業では教師から「将来、何になるか」と問われた子どもらが「立派な兵隊になり、国のために死にます」と答え、拍手が起きた。
講演を聞いた平石ほの香さん(14)は「身近な場所で戦争が起き、頻繁に空襲があり、学校では年齢に関係なく訓練をしていたことに驚いた。教科書にない普段の生活の細かいところまで話をしてもらい、今まで想像できなかったことが分かった」と話した。
宇津木ゆうさん(14)は「日本は80年間、戦争はないが、世界では争いが続いている国もある。日本が絶対安全とは言えず、私たちに必要なのは忘れず覚え続けること。今日のことを忘れず、後の世代の一人でも多くの人に伝え続けていきたい」と感想を述べた。
戦争について、萩原さんはこう話す。「一番いいのは戦争をやらない方法はないのか、ということ。それをいつも考えており、今後も講話に協力していきたい」










