埼玉新聞

 

娘の名誉のため、代わって話す…桶川ストーカー事件から20年、捜査怠慢や過熱取材と闘い続けた両親が思い

  • 「依頼がある限り、娘に代わって話していきたい」と話す猪野憲一さん(右)と京子さん=15日、上尾市の自宅

 桶川市で1999年、女子大学生の猪野詩織さん=当時(21)=がストーカーの男らに殺害された事件から26日で20年を迎えた。警察の捜査怠慢やメディアの過熱取材、刑事裁判、国家賠償請求訴訟―。語れなくなった娘に代わって、闘い続けてきた両親が20年の思いを語った。

 「積極的で負けず嫌いな子だった。大きな区切りとは考えていないが、あっという間の20年だった」。父憲一さん(69)は静かな口調で話し始めた。事件が起きていなければ詩織さんは41歳。「日々、詩織がここにいたらと考える。何百回、何千回も」。結婚、出産と人生を歩む同世代の友人の姿に、娘の姿を重ねずにはいられない。

 事件が起こったのは99年10月26日昼、詩織さんは通学のため訪れたJR桶川駅で、元交際相手の男の兄に依頼された犯人グループに襲われ、命を落とした。事件後、遺族に対する報道は過熱。2カ月以上、自宅に報道陣が押し掛ける状態が続き、詩織さんの名誉を傷付けるような報道も。「誰も助けてくれず、娘のデマも流される。ふざけるんじゃない」。そんな思いだった。

 刑事裁判が始まり、母京子さん(69)は全ての公判に足を運んだ。現在のような被害者参加制度はなく、加害者の家族も同じ空間で傍聴する法廷は「つらく苦しかった」。事件から約1年後には、詩織さんの殺害と捜査怠慢に因果関係があるとして、遺族は県(県警)を提訴。犯行グループに対しても損害賠償を求め訴訟を起こした。「詩織が誰にどんなひどいことをされたのか明らかにしようと思った」。行動を起こしたのはなにより「娘の名誉のため」だった。

 事件から20年。加害者の男らからの謝罪はこれまで一切なく、裁判で認められた賠償は今も行われていない。

 「一つ一つの苦しみや怒りは変わらないが、徐々に感情を制御できるようになってきた」と憲一さん。娘を失った悲しみと怒り、報道による二次被害、裁判で感じた憤り―。「一つ解決すると、また別の怒りが生まれる。考えるとあふれてくるが、詩織はそんなことを望んでいるわけではない」。2005年には胆管がんを患い、一時は生きることを諦めたが、「やり残したことがあるかもしれない」と今も県内外で講演を行う。17年に京都で行われた講演では、初めて警察官に対して事件を語った。

 京子さんは「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の設立当時から被害者の権利を確立するために活動。「犯罪被害がないことが一番だが、次の被害者のために苦しい中を闘ってきた時間は有意義だった」と振り返る。

 詩織さんの遺骨と祭壇が置かれた自宅の居間。夫婦は今も毎晩、この部屋で娘と一緒に眠っている。「詩織と同じ空間で過ごしたい。もう語れなくなってしまった娘に代わって話すこと、それが親の務めだと思っている」。笑顔の詩織さんの写真を見つめた。

■桶川事件

 1999年10月26日、JR桶川駅前で大学生の猪野詩織さん=当時(21)=が、元交際相手の男の兄に依頼された男らによって刃物で刺され殺害された。県警は詩織さんら家族が相談していたストーカー被害を放置。調書を改ざんするなどの捜査怠慢も発覚した。遺族は県(県警)に国家賠償を求めて提訴。最高裁は1、2審判決を支持し、名誉毀損事件の捜査怠慢を認めて賠償を命じたものの、殺人との因果関係は認められなかった。元交際相手の男は2000年1月に自殺、犯行に関わった他の男らも有罪判決を受けた。事件をきっかけに「ストーカー規制法」が成立し、同年に施行された。

ツイート シェア シェア