埼玉新聞

 

“始まりの地”で真打ち披露 埼玉出身の落語家・林家木久彦さん 7月に東松山で披露興行 原点は9歳の時、木久扇師匠とのやり取り

  • 真打ち披露興行を東松山で行う林家木久彦さん。「東松山の人たちの応援の熱量がすごい」と話す=5日、東松山市民文化センター

    真打ち披露興行を東松山で行う林家木久彦さん。「東松山の人たちの応援の熱量がすごい」と話す=5日、東松山市民文化センター

  • 真打ち披露興行を東松山で行う林家木久彦さん。「東松山の人たちの応援の熱量がすごい」と話す=5日、東松山市民文化センター

 小川町出身で県立松山高校卒の落語家、林家木久彦さんが真打ちに昇進し、披露興行が7月6日、東松山市六軒町の市民文化センターで行われる。同センターは、木久彦さんが9歳の時に林家木久蔵さん(初代。現在は木久扇)に弟子入り志願をした場所。落語家としての“始まりの地”に錦を飾る。

◆9歳で弟子入り志願

 2000年7月、その日は雨が降って、じめっとした日だったという。市民文化センターで開かれた「木久蔵・小遊三 二人会」は、1200人の客席が満席となる盛況ぶり。小学3年生だった木久彦さんは、母方の祖父と落語を聞きに来ていた。

 木久彦さんは子どもの頃、両親の仕事の関係で祖父の家に預けられることが多かった。日曜日の夕方、一緒に見るテレビ番組は「笑点」。老若男女を問わず面白い木久蔵さんの芸風は「子どもの心に刺さっていた」という。

 「二人会」が終わり、爆笑の余韻が残る会場。トイレに行った祖父を待って会場を出ると、観客はほとんど残っていなかった。会場裏の出口の前を通ると、憧れの人が出てきた。「あっ、木久蔵さんだ!」

 「ありがとう。ぼうや、落語好きなの?」と木久蔵さん。「よく知らないけど、いつも番組を見て面白いから、弟子にしてよ」。木久蔵さんは、子どもの無鉄砲な願いを聞き流さず、祖父の家の住所を聞いて帰っていった。

 しばらくして、祖父の家に木久蔵さんから郵便物が届いた。中に入っていたのは、サイン入りの自伝エッセー本。この日も夕立が降った後だった。「夕立のせいか、緊張からか、ぞわっとした記憶が残っている。これが僕にとっての原点でしょうね」

◆どうも、木久扇です

 再会したのは木久彦さんが松山高校2年の時。木久蔵さんが「木久扇」に改名し、襲名披露興行が市民文化センターで行われた。幼い時のお礼を兼ね、地酒や農産物を持って楽屋を訪ねた。木久扇さんは昔のことは覚えていなかったが、しばらくして礼状が送られてきた。その後もお薦めの映画のDVDが送られてきたり、その感想を返事に書いたりと、手紙のやりとりが続いた。

 松山高の体育祭の当日、木久彦さんの携帯電話に知らない番号から電話がかかってきた。「どうも、木久扇です」。えっと驚いていると、「落語に興味ある? お笑いをやりたければ教えてあげるよ」。予想外の展開に戸惑った。それまでは大学進学を考えていたが、「これは飛び込んだ方が面白いのでは」。

 両親に相談したところ、母は考え込んだが、父は前向きだった。こうして弟子入りが決まった。

◆人に会うなら11時半

 修業は、高校3年の2月に木久扇師匠の家への通いから始まった。家の中や外の掃除も修業のうち。その一方で、師匠から直接教わった落語は「道具屋」と「鮑(あわび)のし」の2本だけだった。「1人の人にばかり教わってもしょうがない。いろいろな人から教わって栄養を取り、そこに個人の個性が合わさって1人の芸人ができる、というのが師匠の考え」という。

 むしろ、落語より「生き方の師匠」。「毎日が選挙活動と思いなさい」「うち(家)にいたら“在庫”だよ」。心に刻まれた言葉は数知れず。「人に会うなら11時半」という教えでは、お昼前に人を訪ねれば昼食をごちそうになるという流れになる。浮くお金で手土産でも持っていけば、親密さが深まる。「人に会っていれば、食いっぱぐれはない。顔を出すことが一番の口説きなんです」

 人と人とのつながりから応援の輪が広がる。特に母校がある東松山の人たちの熱量は熱く、町内会や喫茶店、接骨院などに落語会で招かれ、昨年秋は「毎週、東松山でしゃべっていた」と笑う。

◆25年前と同じ場所で

 今回の真打ち昇進披露興行では、師匠の木久扇さんと三遊亭小遊三さんも出演。図らずも25年前にここで「二人会」を開いていた2人と、始まりの場所で共演する。

 「スポーツでも芸術でも、生で見る体験に勝るものはない。僕も9歳の時の二人会の景色がネガのように残っている。これをきっかけに人生が変わった」と木久彦さん。今度は自分の落語を聞いて「あとで人生を振り返って、この日がターニングポイントだったと思う人がいたら面白い」と笑った。

 真打ち昇進披露興行は7月6日午後1時15分開場。問い合わせは、市民文化センター(電話0493・24・2011)へ。

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