埼玉新聞

 

長嶋茂雄さん…超特大ホームラン打たれた福島さんが「人生の誇り」 埼玉・大宮で伝説の試合 「4番、サード、長嶋」誕生の瞬間 ライバルに別れ

  • 1983年9月に大宮公園球場で再会する(左から)福島郁夫さんと長嶋茂雄さん(福島郁夫さん提供)

    1983年9月に大宮公園球場で再会する(左から)福島郁夫さんと長嶋茂雄さん(福島郁夫さん提供)

  • 当時を振り返りながらインタビューに応じる福島郁夫さん=3日午後、熊谷市内

    当時を振り返りながらインタビューに応じる福島郁夫さん=3日午後、熊谷市内

  • 【地図】さいたま市大宮区(背景薄緑)

    埼玉県営大宮公園球場のある、さいたま市大宮区の位置

  • 1983年9月に大宮公園球場で再会する(左から)福島郁夫さんと長嶋茂雄さん(福島郁夫さん提供)
  • 当時を振り返りながらインタビューに応じる福島郁夫さん=3日午後、熊谷市内
  • 【地図】さいたま市大宮区(背景薄緑)

 プロ野球巨人の終身名誉監督長嶋茂雄さん(89)が3日に死去したことを受けて、長嶋さんに高校時代に本塁打を打たれた元プロ野球選手福島郁夫さん(88)=埼玉県熊谷市=は「ミスタープロ野球」と呼ばれた国民的英雄の訃報に「本当にびっくりした。先に逝ってしまうとは思わなかったが、人生の中でミスターと知り合えたのは誇り」とかつてのライバルを追悼した。

 福島さんは秩父市出身。小学生で野球を始め、秩父二中時代は県大会で準優勝した。中学3年生時の1951年、第33回全国高校野球選手権で準優勝していた県立熊谷高校に進み、1年生の時から投手で活躍。重い球質で、内角にナチュラルにシュート回転するボールが持ち味だった。

 2年生の53年8月1日、県営大宮公園球場で行われた全国高校野球選手権の南関東大会1回戦で、千葉県立佐倉第一高校(現佐倉高校)と対戦した。六回の長嶋さんの3打席目で、1ボール1ストライクからの3球目。内角高めの直球を低い打球でバックスクリーンへ運ばれた。新聞には飛距離「350フィート」(約107メートル)と記事が載り、長嶋さんの高校時代唯一の公式戦本塁打となった。

 「まさかホームランになるとは思わなかった」と福島さんが振り返る打球は強烈な一発だった。試合は4対1で熊谷高が勝利したが、この本塁打をきっかけに長嶋さんは立教大学へ。また遊撃手だった長嶋さんが、三塁手のけがで公式戦で初めて三塁を守り、「4番、サード、長嶋」が誕生した伝説の試合となった。

 福島さんは卒業後、東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)に入団し、2年目に13勝したが、けがの影響もあって60年に引退。その後は埼玉に戻り、熊谷市の八木橋百貨店で勤務した。

 83年9月には県営大宮公園球場で、少年野球の表彰式で巨人の監督を退いていた長嶋さんと対面。高校以来の久しぶりの再会だったが、「球が速かったね」と気さくに話しかけてくれたことを強く覚えていて、その時が最初で最後の会話となった。現在は高校野球が趣味で、地元での試合観戦を楽しみにしている。

 これまで多くの取材を受けてきたが、3日も取材依頼が相次いだ。「こんな大昔にホームランを打たれて、これだけ取材を受けるのは私だけだと思う」と福島さん。偉大な存在だったことを再認識しつつ、「たくさんの人と知り合えたのはミスターのおかげ。時代に求められたあれだけのスーパースターはもう出てこないと思うが、これからも語り継がれていくのではないか」と話した。

■大学にとって誇り

 立教大学の西原廉太総長 2021年に総長に就任した際に、一緒に食事をする機会があったが、謙虚な人柄に感銘を受けた。日本全国のスーパースターとして大学にとって誇りであり、大切な存在だ。

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