幻の劇場…民家に眠っていた貴重な資料 埼玉・飯能の山間部、原市場地区にあった「原市場館」 20年ほど地域に親しまれる 戦中に都内に移築も空襲で焼失
戦前、飯能市の山間部、原市場地区に存在した劇場「原市場館」。1925(大正14)年ごろから44(昭和19)年までの約20年間、地域で親しまれたという幻の劇場で使われた舞台道具が、飯能市立博物館(同市飯能)に寄贈された。閉館から80年、民家に眠っていた当時の文化の繁栄を今に伝える貴重な資料だ。
原市場地区は、森林や入間川など豊かな自然が残る、飯能市中央部の山間に位置する。江戸時代から、切り出した木材で筏(いかだ)を組んで輸送する林業で発展した。近くの集落から物資や文化が集まる集散地だった。
残された資料などによると、原市場館は大正時代末期の1925年ごろに竣工(しゅんこう)。木造2階建てで定員750人の大規模な劇場で、花道や回り舞台が整備され、盛況だったという。44年に解体され都内に移築されたが、空襲で焼失。同館があったとされる場所は現在の飯能市立原市場中学校に近く、運動場や住宅が立ち並び、同館の面影はない。
寄贈されたのは幕12枚、大札3枚、幕の滑車1組、太鼓2個。博物館には全体像の写真や木札が所蔵されていたが、同館の担当者は、「(原市場館については)断片的なものしか分かっておらず、物的証拠がほとんどなかったので貴重」と話す。
舞台の背景に使われたとされる幕は、桜や紅葉、川沿いの街並み、海などの華やかな四季の景色が描かれる。原市場館の大きさや豪華さを物語る。幅約10メートル、高さ約4メートルの桃色の緞帳(どんちょう)には中央に「原市場館」と書かれ、ロゴマークが描かれている。料理屋などの営業者で組織したという「飯能三業同盟組合」や、浅草の染色会社の記名があり、まちを挙げての一大事業であったことが分かる。
寄贈したのは原市場在住の曽根敦夫さん(67)。全て自宅の物置から発見されたが、原市場館の存在や資料については「全く聞いたことがなかった」という。発見に尽力したいとこの岩田熱子さん(72)は、「昭和2年生まれの母が、よく『東京から来た役者がすごくいい男で、ついて行きたいほどだった』と話していた」と振り返る。「原市場の人は話術が巧みで、上質な冗談を飛ばす面白い人が多い。芝居好きが多かったことや江戸とも行き来があって、粋な気風が生まれたのかもしれない」と語った。
戦後、原市場にあった映画館のポスター70枚も見つかり、寄贈された。飯能市立博物館で11日まで開催される「令和6年度新収蔵品展」では、今回寄贈された太鼓が展示される。










