埼玉新聞

 

「不発弾のような物が見つかった」…埼玉にあった軍の飛行場 現在の2市1町にまたがり、一時は3千人がいた飛行場 訓練中の墜落事故などで40人以上の死者も 現在、一部は工業団地に/埼玉県内に残る戦争遺跡(1)

  • 児玉工業団地内にある「児玉飛行場跡之碑」(中央奥)や児玉飛行場を空襲した爆弾のかけら(手前左)=3月28日、上里町嘉美

    児玉工業団地内にある「児玉飛行場跡之碑」(中央奥)や児玉飛行場を空襲した爆弾のかけら(手前左)=3月28日、上里町嘉美

  • 【地図】本庄市(背景白)

    本庄市の位置

  • 【地図】上里町(背景白)

    上里町の位置

  • 【地図】神川町(背景白)

    神川町の位置

  • 児玉工業団地内にある「児玉飛行場跡之碑」(中央奥)や児玉飛行場を空襲した爆弾のかけら(手前左)=3月28日、上里町嘉美
  • 【地図】本庄市(背景白)
  • 【地図】上里町(背景白)
  • 【地図】神川町(背景白)

 今年は戦後80年を迎える節目の年。戦争を実際に経験していた世代が少なくなり、当時の記憶を次世代に伝えていくことが課題になりつつあるが、県内には軍需工場、飛行場、陸軍学校分教場など戦争に関係する遺跡が点在している。県内に残る施設はどのような役割を果たしたのか、関係者たちの話を交えながら紹介していく。

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