埼玉新聞

 

亡くなった被爆医師の言葉「長生きしないと」は遺言…被爆者運動の継承をテーマに、さいたまで交流会

  • 県原爆被害者協議会の交流会で講演する田中熙巳さん(奥右)=5日午後、さいたま市浦和区のさいたま共済会館

 県原爆被害者協議会(しらさぎ会)は5日、さいたま市浦和区で、被爆者運動の継承をテーマに交流会を開催した。広島、長崎の若年被爆者や被爆2世、支援団体など二十数人が参加して意見交換した。

 同会会長の原明範さん(79)=入間市=は「被爆者の高齢化は止めようがなく、被爆者運動の継承が大変重要な課題と認識している」とあいさつした。広島で3歳の時に被爆した原さん自身が若年被爆者とされながら、来年には80歳を迎える。2017年に100歳で亡くなった被爆医師の肥田舜太郎さんの「被爆者は長生きしないといけない。原爆との闘いなんだ」という言葉を引用し、原さんは「遺言として受け止めて、一日でも長く生き抜き、運動の継承をしていきたい」と語った。

 同会名誉会長で被団協代表委員の田中熙巳さん(89)=新座市=が、被団協など原爆被害者運動の歴史を講演した。田中さんは05年に米ニューヨークの国連本部で開催された核拡散防止条約(NPT)会議で、原爆展を初めて企画。被爆者らが証言し、核兵器禁止条約の成立につながったという。田中さんは「もっともっと原爆の被害を世界中に知らせていくことが大事だ」と訴えていた。

 意見交換では、被爆者による学校での語り部活動が減少していると説明された。県教育局への働き掛けのほかに、修学旅行先を広島、長崎にするように求めていくことも話し合われた。

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