埼玉新聞

 

スタレビ根本要さん行田出身、通った八木橋の思い出 魅力ランク低くても埼玉県民が文句言わない理由は

  • スターダスト☆レビュー・根本要さん

 誕生から150年を迎える埼玉県。関東平野と秩父山地を擁する県土では、県民が長い時間をかけて文化や産業を培ってきた。そんな埼玉の魅力は何か、未来へのテーマはどこにあるのか。埼玉に育まれるとともに埼玉を育ててきた人たちに語ってもらう。

■熊谷に育てられて

 僕が生まれた行田市には今のJRの駅がなくて、東京は簡単に行ける場所ではなかった。東京の隣だけど、都会の田舎的なものを子どもの頃から感じていた。だけど、都会の田舎が埼玉の面白いところだとずっと思っていた。

 2人の兄の影響で音楽を始めて、中学生の時に熊谷の八木橋デパートで行われたコンテストで優勝。高校生の時には八木橋に「木偶※堂(でくいんどう)」というライブハウスができて、僕らは毎週そこで演奏させてもらっていた。いろんな種類のバンドがいて、多くのことを学んだ。僕にとって木偶※堂は天国だった。

 木偶※堂はリハーサルスタジオとして使わせてもらい、楽器屋さんにもかわいがられた。なので僕たちはスタジオ代を払ってスタジオを借りたことが一度もなかった。プロになると、皆が高校時代はバイトをしてスタジオ代を稼ぐのが大変だったと言っていた。本当に熊谷に育てられたし、優しくされた。熊谷を語らずしてスタレビは語れないね。

 実はプロデビューしてから、熊谷で演奏することを嫌がっていた。なぜかというと、友達しか来ないと思っていたから。まだ熊谷でやるのは早いと思っていて、熊谷でできる存在になることを楽しみにしていた。実際に熊谷でやったのはデビュー20周年のツアーで、その頃にやっと今なら恩返しができるかもしれないと思ったからだった。埼玉や行田について語れるようになったのは20年たってからで、それまでは自信がなかった。

 僕たちがデビューした当時、スタレビのサウンドは「都会的だけど温かい」と言われた。都会はクールでおしゃれなイメージが先立つが、温かいという言葉が付くのは埼玉だからだと思った。埼玉は東京のベッドタウンであり、その時には「ベッドタウンミュージック」という言葉を作った。誰も全然使わないけどね。

 仕事の関係上で東京に住むようになって40年近くになるけど、離れたことで埼玉の良さをますます知るようになった。埼玉の人は競争意識が低く、都道府県魅力度ランキングで順位が低くても何も言わない。でも、埼玉の居心地の良さを知っているし、それをあえて声高に言わない。それが埼玉のいいところだね。

 埼玉を大切にしているし、3日には羽生市でもコンサートをやった。久々に先輩や仲間たちと会えて本当にうれしかった。6年前にさきたま火祭りでライブをやったが、古墳で照明も交えたフルセットで無料ライブをやりたい。古墳は生まれ育ったまちの一番の宝物。これまでの感謝も込めて、最後の恩返しになると思う。

※はやまいだれに音

■根本要

 ねもと・かなめ 行田市出身。人気ロックバンド「スターダスト☆レビュー」のメーンボーカル。1981年にメジャーデビュー。「夢伝説」や「今夜だけきっと」「木蘭(もくれん)の涙」などのヒット曲で知られる。スタレビは2011年から行田市観光大使を務める。64歳。

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