2019年5月6日(月)

日本最古の歌集「万葉集」に埼玉ゆかりの歌 確実に現在の埼玉で詠まれた歌は…万葉集研究家に聞く

「故地を訪ねて、お気に入りを見つけて」と話す藤倉明さん=さいたま市中央区

 20巻からなる日本最古の歌集「万葉集」。収められた約4500首の和歌には埼玉ゆかりの歌もあり、県内では25基の歌碑が確認されている。それらすべてを訪ね歩き、詳細に検証した著書をまとめたさいたま市中央区の詩人で万葉集研究家、藤倉明さん(86)に県内の歌や、万葉集の魅力について聞いた。

 藤倉さんによると、県内には24カ所に25基の歌碑が建てられ、刻まれた歌の種類は19首ある。そして、確実に現在の埼玉県内で詠まれたであろう歌は8首あるという。

 代表的な歌は「埼玉の小埼の沼に鴨そ翼(はね)きる 己が尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし」(巻9・一七四四)、「埼玉の津に居る船の風を疾(いた)み 綱は絶ゆとも言な絶えそね」(巻14・三三八〇)など。他にも「入間路」といった地名が出てくる歌や、作者が「秩父郡」「埼玉郡」の人とされる歌もある。さらに武蔵野や浅葉野など、現在の県内の地名を想起させる場所の歌もあるが、それらが確実に県内の歌であると断定することは難しい。

 これら県内で詠まれた歌の作者について、藤倉さんは「地方の役人や防人に出向く人や家族、名もなき庶民」と説明する。万葉集には、こうした人々から天皇まで、地位も住む場所も違う人々の歌が収められている。なぜ、これほど多様な人々の歌を掲載しているのか。

 万葉集は、平安時代の「古今和歌集」といった、天皇や上皇の命で編集された勅撰(ちょくせん)和歌集と違い、誰が編さんしたかは分かっていない。明確に年代が分かる歌で最も新しいのは天平宝字3(759)年元日とされる。それ以降に、誰が、どんな意図で歌を取捨選択したのか、それが分からない限り、「明確な答えはないのではないか」と藤倉さんは話す。

 その一方で、「詠んだ人はどんな人か、詠まれた場所がどこか。そうしたことを考えると、ロマンをかきたてられる」と魅力を語る。また、同じ歌の歌碑があちこちの場所に建っているが、「この地こそが万葉の故地であってほしい」という地域の人々の土地に寄せる愛情の現れと見ることもできる。

 当時の東国で詠まれた歌は「東歌(あずまうた)」と呼ばれ、主に巻第14に収められている。その中には「相聞(そうもん)歌」と呼ばれる恋の歌が多く、藤倉さんは「人の持つ、本来的な最も強い感情は誰かを好きになること。今の歌謡曲も一緒です」と、当時も今も人々の心は変わっていないと話す。

 万葉集の魅力は「比喩の素晴らしさ、言葉に対する思い入れが今と違う」とも言う。その代表的な歌として「天地の底ひのうらに吾が如く 君に恋ふらむ人は実あらじ(巻15・三七五〇)を挙げる。

 「1300年も前に『天地の底ひのうらに〜(天の果てや地の底を探しても私ほど君を思う者はいない)』という想像を絶する表現で表している。こんな表現はどうやって思いつくのか」と脱帽する。

 藤倉さんは万葉集を楽しむ方法として、県内外の故地を訪ねることや、好きな歌人を見つけることなどを挙げる。そして「当時の歌や人々に思いを重ねてほしい。自分のお気に入りがきっと見つかるはず」と呼びかけている。

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