埼玉新聞

 

来年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」は小栗上野介忠順が主人公…さいたま市大宮区の普門院に一族ゆかりの史跡 境内には歴代の墓や招魂碑、海軍省寄贈の浮標水雷も 放送決定後は参拝者やバスツアーが急増

  • 小栗家の墓を紹介する、大宮郷土史研究会の織本重道さん(右)と阿部道彦住職=7月21日、さいたま市大宮区大成町の普門院

    小栗家の墓を紹介する、大宮郷土史研究会の織本重道さん(右)と阿部道彦住職=7月21日、さいたま市大宮区大成町の普門院

  • 【地図】さいたま市大宮区(背景薄緑)

    さいたま市大宮区の位置

  • 小栗家の墓を紹介する、大宮郷土史研究会の織本重道さん(右)と阿部道彦住職=7月21日、さいたま市大宮区大成町の普門院
  • 【地図】さいたま市大宮区(背景薄緑)

 来年のNHK大河ドラマは、江戸幕府の幕臣・小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ、1827~68年)の活躍を描いた「逆賊の幕臣」だ。埼玉県さいたま市大宮区の普門院には小栗家歴代の墓や記念碑など、ゆかりの史跡があり、歴史ファンの注目を集めている。関係者は「近代日本の礎を築いた上野介忠順と小栗一族の功績が、より多くの人たちに広まってほしい」と期待している。

■江戸時代初頭に所領

 普門院は室町時代の1426年に創立され、今年で600周年を迎えた。境内の墓地には、小栗忠政から始まる小栗宗家・分家合わせて30基の墓石群(約80平方メートル)があり、1966年に大宮市(現さいたま市)の史跡に指定された。

 大宮郷土史研究会の織本重道さん(85)によると、徳川家康に仕えた旗本・忠政は江戸時代初頭に、普門院が立つ大成村を含む計2550石を与えられた。1616年に忠政が没して同院に葬られると、その後は次男である信由系の葬地になった。

■村民や海軍から

 織本さんは、上野介忠順が幕末期に書いたとされる日記の内容を読み解き、「忠順は、忠政を小栗家の始祖として崇敬し、忠政夫婦が眠る普門院に特別な親しみを持っていた」と考察する。日記には、江戸時代末期の1860年に寺が焼失した際、忠順らが本堂再建のため計75両を寄贈したことなどが記録されており、「普門院は小栗家全体で祭られていた」と織本さんは話す。

 境内には小栗家の墓のほか、旧大成村民らの寄付で1934年に建てられた小栗上野介招魂碑や、上野介忠順の功績をたたえて海軍省から贈られた浮標水雷などもあり、上野介忠順が多くの人から尊敬されていたことが分かる。

■地元以外から参拝者

 上野介忠順は、横須賀の造船所建設や日本初の株式会社設立、貨幣制度や軍制の改革など、幕末の近代化を支えた重要人物の一人だが、「歴史の教科書であまり取り上げられず、その偉業を知る人たちは少ない」と、元高校教諭の織本さんは残念がる。

 織本さん自身も小栗家の歴史研究を始めたのは定年後のことで、「まだまだ調べがいがある」と意気込んでいる。

 来年の大河ドラマの情報が公開されて以降、普門院にはバスツアーの参加者や、地元以外から訪れる参拝者が目立っている。同院の阿部道彦住職(58)は「普門院と小栗一族の関係や、上野介忠順の多くの偉業を、皆さんに知ってもらえるのはありがたい。小栗家にスポットを当てた番組は希少なので、私も心待ちにしている」と話している。

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