埼玉新聞

 

学校事故後の対応考える 埼玉大で救命教育セミナー 遺族が明かす「心の傷は学校や教育委員会との対話を繰り返すほど深刻となり…」

  • 長女明日香さんについて語る桐田寿子さん

    長女明日香さんについて語る桐田寿子さん

  • 事故後の学校対応について語る倉田久子さん=7月29日、さいたま市桜区の埼玉大学

    事故後の学校対応について語る倉田久子さん=7月29日、さいたま市桜区の埼玉大学

  • 埼玉大学の校舎=さいたま市桜区下大久保

    埼玉大学イメージ

  • 長女明日香さんについて語る桐田寿子さん
  • 事故後の学校対応について語る倉田久子さん=7月29日、さいたま市桜区の埼玉大学
  • 埼玉大学の校舎=さいたま市桜区下大久保

 突然わが子を失い、深い悲しみの中にいる学校事故の遺族を、学校や教育委員会の対応が追い込んでしまうことがある。7月29日、さいたま市桜区の埼玉大学で開催された救命教育に関するセミナーでは、2011年に学校事故で子どもを亡くした桐田寿子さん=さいたま市=と倉田久子さん=名古屋市=が登壇し、当時の心境を明かした。

◆対立を乗り越え

 「私たちの心の傷は学校や教育委員会との対話を繰り返すほど深刻となり、一時は裁判しか進む道がないかもしれないと考えていました」

 桐田さんの長女明日香さん(当時11歳)は11年9月、小学校での駅伝練習中に倒れて亡くなった。救急隊が駆け付けるまでの11分間、自動体外式除細動器(AED)の使用を含む救命処置はなされなかった。

 事故後、明日香さんの友人から、倒れた直後にけいれんが見られたと耳にした。

 初めて知る情報に「何か隠しているのではないか」と不信感が募ったものの、学校側は「お伝えできるのはこれが全て」とA4の紙2枚を渡すだけ。質問しても下を向いたままで、「真実が知りたい」との願いはかなわなかった。

 そうした対応に追い詰められた桐田さんらは、裁判を検討し、弁護士に相談もした。その思いを変えたのは事故の2カ月後、桐淵博教育長(当時)による家庭訪問だった。「今日は一人の人として来ました。元気に学校に行った明日香さんを無事に返すことができずに、申し訳ありませんでした」。真摯(しんし)に遺族と向き合い、寄り添う心が感じられ、夕方から深夜まで語り合った。

 「子どもたちを守りたいという桐淵先生の思いが、裁判しか選択肢がない状態に追い詰められていた私たちの心を救ってくれました」。再発防止に向けて協働し、明日香さんが亡くなった1年後に救命マニュアル「ASUKAモデル」が誕生。さいたま市は教員研修や救命教育を充実させた。事故からまもなく15年。桐田さんと桐淵さんは今も、啓発活動に共に取り組む。

◆寄り添う姿勢

 「教育や指導の場にいる先生が、どのような姿勢で命ある子どもたちと向き合うべきか。その根本をお伝えしたいのです」

 倉田さんの息子総嗣さん(当時15歳)は11年6月、高校柔道部の練習で体重差のある先輩に大外刈りで投げられ、頭を打った数分後に意識を失った。多くの管につながれた総嗣さんに面会し、集中治療室を出たのは午後11時半過ぎ。薄暗いロビーで待っていた校長と教頭が、深々と頭を下げた。「学校で起きたことは全て校長の責任。申し訳ありませんでした」

 家族が事故原因を把握できるように、3日目には部員に直接聞き取る機会が設けられた。総嗣さんが亡くなるまでの1カ月余り、先生たちは毎日病院を訪れて、「頑張れ」「柔道部のみんなが待っているぞ」と声をかけ続けた。

 「3年間、学校に通わせてほしい」との願いにも向き合ってくれた。総嗣さんの名前は進級後も名簿に記され、卒業アルバムに写真も載った。卒業式の壇上で、倉田さんは代理で卒業証書を受け取った。

 「なぜ、先生たちはこんなに一生懸命になってくれるのだろうか。一人の生徒の命を重く見ているからだと気づいた」と倉田さん。セミナーに参加した教育関係者らを前にこう力を込めた。「寄り添うというのは、相手の立場に身を置いて考えること。先生の誠意はきっとご家族に伝わります」

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