埼玉新聞

 

広島原爆投下から81年 埼玉でも犠牲者追悼の式典 被爆者の服部さん「核兵器廃絶は絶対」と訴え 熊谷では集会に市民参加 平和の鐘が響く

  • 県原爆死没者慰霊の碑の前で、手を合わせる服部道子さん=6日午前、さいたま市南区の別所沼公園

    県原爆死没者慰霊の碑の前で、手を合わせる服部道子さん=6日午前、さいたま市南区の別所沼公園

  • 平和の鐘の音に合わせて黙とうする市民ら=6日午前8時15分ごろ、熊谷市宮町の中央公園

    平和の鐘の音に合わせて黙とうする市民ら=6日午前8時15分ごろ、熊谷市宮町の中央公園

  • 県原爆死没者慰霊の碑の前で、手を合わせる服部道子さん=6日午前、さいたま市南区の別所沼公園
  • 平和の鐘の音に合わせて黙とうする市民ら=6日午前8時15分ごろ、熊谷市宮町の中央公園

 夏空の下、広島は核なき未来を希求する人々の祈りに包まれた。多くの生命と日常を一瞬にして奪い去った原爆投下から6日で81年。世界で戦火はやまず、核兵器使用への緊張も高まる。惨禍を生き抜いた被爆者の数は、年を追うごとに減っているが、戦争の恐怖と命の尊さを伝えようと懸命に言葉を紡ぐ。若い世代は託された思いを受け止め、平和な世界をつくり上げることを誓った。埼玉県内でも原爆死没者慰霊の会が開かれ、核兵器廃絶と恒久平和への願いが訴えられた。

■「核兵器廃絶は絶対」
 広島と長崎の原爆犠牲者を追悼する「県原爆死没者慰霊の会」が6日、さいたま市南区の別所沼公園で開催された。被爆者の服部道子さん(97)ら約30人が参加し、園内に建立されている「県原爆死没者慰霊の碑」に花を手向け、核兵器の廃絶を訴えた。

 服部さんは1945年8月6日、広島で16歳の時に被爆した。被爆直後から看護活動に従事し、髪が逆立ち、顔が膨れ上がり、皮膚が垂れ下がっている多くの人をみとった。「助けてください」「痛い、苦しい」「お水、お水をちょうだい」。服部さんは慰霊の会で当時を振り返り、「どうすることもできなかった。核を使用すれば、地球は破滅する。戦争は駄目」と語った。

 世界で紛争は絶えず、大国による核使用の脅しが横行している。日本の国是「非核三原則」の見直しについて、政治家が言及し始めた。服部さんは取材に「もっての外。日本は唯一の戦争被爆国。どこの国の誰が何と言おうと、核兵器は廃絶しかない。絶対に廃絶。廃絶という言葉しかない」と強く訴えていた。

 慰霊の碑は、県原爆被害者協議会(しらさぎ会)の被爆者らが寄付を募り、1986年に建立された。慰霊の会は、服部さんが提唱して2019年から開催。「8月6日」を忘れないとの思いを込めて、慰霊の碑の前で実施している。次世代に引き継ぎたいとする服部さんの意向をくみ、市民団体「8・6、9を忘れない会」が昨年から慰霊の会を主催している。

■熊谷の平和集会 鐘の音が響く
 広島原爆の日の6日、熊谷市宮町の中央公園にある「平和の鐘」が鳴らされ、集会が開かれた。核兵器廃絶と恒久平和を願い、毎年開催。市民ら約40人が参加した。

 原爆が投下された午前8時15分に合わせて、熊谷市職員が鐘を鳴らし1分間の黙とうを実施。その後、原水爆禁止熊谷協議会の主催で、集会を行った。会場では「熊谷市非核平和都市宣言」が朗読され、広島原爆の被爆者で、県原爆被害者協議会(しらさぎ会)の服部道子さんが寄せたメッセージを紹介。全員で平和を祈る歌を合唱した。

 原水爆禁止熊谷協議会の林真佐子理事長(79)は、近年の緊張感が高まる国際情勢や核兵器廃絶に逆行する動きを指摘し、「不安を感じる人が、何かをしなければという気持ちで来てくれた。熊谷は空襲を受けたまち。平和の鐘の存在をもっと知ってもらい、継承しなければならない」と誓った。行事は長崎原爆の日の9日午前11時2分からと、14日深夜から翌未明にかけての熊谷空襲があった日でもある終戦の日の15日正午から、同じ会場で催される。

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