埼玉新聞

 

浦和にも空襲…一般家庭に防空壕か、家屋の解体中に空洞発見 住民驚き「あんなにしっかりした穴とは」

  • 家屋解体後に見つかった大きな穴=5日、さいたま市浦和区常盤2丁目

  • 防空壕とみられる穴の内部の様子(本間文弥さん提供)

 今月3日、さいたま市浦和区常盤2丁目で、家屋の解体作業中に防空壕(ごう)とみられる大きな空洞が見つかった。太平洋戦争末期、浦和地区では米軍の空襲を受けたことから、一般家庭で防空壕が造られていたとされる。この場所に住んでいた吉田信一さん(71)は「全く知らずに住んでいた。あんなにしっかりした穴があるとは夢にも思わなかった」と驚きながら話した。

■浦和駅から徒歩15分の住宅街

 空洞は深さ約1・5メートル、幅約2メートル、全長5~6メートル。現場はJR浦和駅西口から徒歩約15分、東側にJRの線路が走り、周囲は高層マンションが立ち並ぶ住宅街。

 吉田さんの娘夫婦が新居を構えるのに伴い、昭和初期に建てられた木造平屋の住宅を解体中に発見された。

 浦和地区では1945年4月に高砂、仲町地区などで、5月には常盤6丁目や本太、領家地区などへの空襲で焼夷(しょうい)弾が落とされ計186戸が焼失。死者21人、重軽傷者26人の被害が出た。浦和市史によると、45年4月の新聞には「浦和で各戸避難壕設置」という記事が見られ、各家庭ではこの頃から防空壕を造り始めたと記されている。市によると、現存する防空壕の正確な数は把握していない。

 当日、解体工事に携わっていた建築士の本間文弥さん(56)によると、空洞の中は崩れた形跡もなくきれいな状態だった。壁にろうそくをともしたとみられるすすが付き、空気穴と思われる直径6センチほどの穴も確認できたという。

 戦後生まれの吉田さんは、父親の敏一さんと長年住んでいたが、防空壕について話された記憶もなく、全く知らなかったという。吉田さんは「近所は新住民ばかりで、浦和にも空襲があったことを知らない人の方が多いのでは。戦争は絶対にしてはいけない」と話していた。

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