埼玉新聞

 

「笑点」の座布団も展示…落語家・林家たい平さん、実家をリノベ 故郷に貢献したい…「たい平美術館」を開設 1階は駄菓子屋、平日でもファンら立ち寄る 大好きな場所、埼玉・秩父「もっと味わって」

  • 「地元に帰った時、『秩父をいつも宣伝してくれてありがとうね』と言われるのが、本当にうれしい」と話す林家たい平さん

    「地元に帰った時、『秩父をいつも宣伝してくれてありがとうね』と言われるのが、本当にうれしい」と話す林家たい平さん=4月、さいたま市内

  • たい平美術館には林家たい平さんの絵や「笑点」の小道具などが展示されている

    たい平美術館には林家たい平さんの絵や「笑点」の小道具などが展示されている

  • 美術館の外観。両親が営んでいた「タジカ洋服店」の看板も掲げている=秩父市東町

    美術館の外観。両親が営んでいた「タジカ洋服店」の看板も掲げている=秩父市東町

  • 【地図】秩父市(背景薄緑)

    林家たい平さんの生まれた秩父市の位置

  • 「地元に帰った時、『秩父をいつも宣伝してくれてありがとうね』と言われるのが、本当にうれしい」と話す林家たい平さん
  • たい平美術館には林家たい平さんの絵や「笑点」の小道具などが展示されている
  • 美術館の外観。両親が営んでいた「タジカ洋服店」の看板も掲げている=秩父市東町
  • 【地図】秩父市(背景薄緑)

 「笑点」の大喜利メンバーとして親しまれる、秩父市出身の落語家林家たい平さん(61)は、秩父市内の実家をリノベーションし、4年前に「たい平美術館」を開設した。両親がテーラーを営んでいた実家は、自身の落語の原点でもある。思い出の家を守りながら、新たな観光スポットとして秩父を盛り上げたい―。たい平さんは「故郷に少しでも貢献したい」と話す。

 秩父鉄道御花畑駅から徒歩数分。路地を入った場所に、たい平美術館はある。1階は駄菓子屋。急な階段を上がると、かつて3きょうだいが使っていた2階の部屋に、美大時代の油絵や「笑点」の座布団などが並ぶ。この場所を切り盛りするのは、実姉の宮前早苗さん(67)。3月の平日にも、駄菓子を買いに来た大学生や、群馬県から来たファンが立ち寄っていた。

■美大から落語へ

 県立秩父高校卒業後、たい平さんは武蔵野美術大に進学。3年生の時、ラジオから流れる五代目柳家小さん師匠の落語を耳にした。SF風の展開に大笑いし、落語の持つ力に衝撃を受ける。「落語は人を幸せにする。僕がその出合いのきっかけになろう」と進む道を決めた。

 しかし父の田鹿喜作さん(2019年死去)は大反対した。理解を得ようと、たい平さんは、実家で落語会を開いたことも。大学卒業後、1988年、林家こん平師匠に入門。2000年に真打ちに昇進。テレビやラジオに出演し、独演会の開催と第一線で活躍するはなし家となった。

■落語の原点

 実家の「タジカ洋服店」はにぎやかな家だった。その中心が母ツヤ子さん(20年死去)。道に迷った人にも「上がってげーな(家に上がっていきなさい)」と声をかける世話好きな女性で、夕食時には客や近所の人が集まって飲んだり食べたりしていた。両親が仕事で忙しく、たい平少年が近所の家で夕飯や風呂の世話になることも多かった。「みんなで助け合って、笑い合って。江戸の長屋は知らないけれど、秩父でご近所長屋みたいな暮らし方をしていた。それが僕の落語の原点」。実家の記憶を残そうと「タジカ洋服店」の看板を今も掲げる。

 両親の死後、「帰る場所がなくなる」寂しさを感じたことが美術館をつくるきっかけになった。宮前さんや兄と相談し、ツヤ子さんが一時期営んでいた駄菓子屋を再開。2階には自身の作品を展示した。観光客が気軽に立ち寄れ、そして秩父夜祭の際には自分が泊まれる場所にもなる。22年7月にオープンし、4年目を迎えた。

 たい平さんは、埼玉の特産イチゴ「あまりん」「かおりん」の名付け親。さらに横瀬町イメージキャラクターのデザインのほか、秩父市観光大使も務める。「自分の学んだことが必要とされるのなら、全力でアウトプットしたい」。落語家として磨いた言葉の感覚と、美大で培った表現力を生かし、全力で埼玉を発信中だ。

 たい平さんはこう語る。「秩父は、誰にとっても故郷のにおいがするまち。僕が生まれた大好きな場所を、もっとみんなに味わってもらえたら」

 たい平美術館は秩父市東町26の14。金、土、日曜日の午前11時~午後5時に営業。入館料は大人300円。1階の駄菓子屋は入館しなくても利用できる。問い合わせは(電話070・2220・8848=営業日のみ通話可)へ。

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