埼玉新聞

 

「市民に夢と希望」 デフリンピック・バスケ女子が金メダル 埼玉・久喜の川島真琴選手 恩師ら祝福、成長喜ぶ

  • 東京デフリンピックに向けて意気込みを語る川島真琴選手=久喜市役所(今年1月撮影)

    東京デフリンピックに向けて意気込みを語る川島真琴選手=久喜市役所(今年1月撮影)

  • 東京デフリンピックに向けて意気込みを語る川島真琴選手=久喜市役所(今年1月撮影)

 聴覚障害者の国際スポーツ大会「東京デフリンピック」のバスケットボール女子は25日に決勝が行われ、日本は米国に65―64で競り勝ち、金メダルを獲得した。久喜市在住の川島真琴選手(23)=JFEシステムズ=は体調不良で出番はなかったものの、途中出場した準決勝では2得点を挙げチームに貢献。恩師や市の関係者らは「世界を相手によく頑張った」「市民に夢と希望をありがとう」と快挙を祝福した。

 生まれつき難聴の川島選手は普段、補聴器を着けて生活している。栗橋小3年の時にバスケに出合い、栗橋東中2年で聴覚障害者のデフバスケットボールを始め、久喜高校2年でフル代表入り。昨年9月のアジア選手権で金メダルを獲得し、「東京デフリンピックで金メダルを取って、デフバスケと手話を広めたい」と意気込んでいた。

 「バスケ発祥の国を倒して優勝したのは、デフバスケだけでなく、バスケ界全体にとっても大きい。本当によく頑張ってくれた」。川島選手にデフバスケを紹介し、久喜高時代もバスケットボール部顧問として指導した早川拓教諭(45)は決勝を現地で観戦。大会
前に「金メダルのため、困難も楽しめるように頑張って」とアドバイスし、見事実現した教え子をたたえる。

 早川教諭によると、出会った頃の川島選手は引っ込み思案な性格で、部内では「優しくて後輩の面倒見が良く、サポート役に徹する縁の下の力持ち」だった。練習の積み重ねで心身ともに成長し「特にセンターとして体の使い方がうまくなった。世界の強豪相手にリバウンドを取り、成長を感じた」といい、「同じ境遇の子どもたちに夢と希望を与えられる存在になれるよう、これからも成長してほしい」と期待する。

 デフバスケの試合では補聴器を外し、ドリブルやシューズの音が聞こえない中、手話やハンドサインなどを駆使して意思疎通する。通常のバスケに慣れていた川島選手は当初、「声を出しても周りが反応してくれない」と戸惑ったという。大学生の時、チームメートの協力で苦手だった手話を習得。その技術を生かして今年4月から、市の公式ユーチューブチャンネルで手話の解説動画に出演している。

 梅田修一市長は「目標に向かって挑戦し続ける川島選手の姿は、私たち久喜市民、そして日本中の人々に夢と希望を与えてくれた。この輝かしい功績は、障害のある子どもたちをはじめ、多くの人々に勇気を与えてくれる。本当におめでとうございます」とコメントした。

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